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ユーフォリア(昌平君×信)前編

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  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 昌平君×信/ヤンデレ/無理やり/メリーバッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

 

秦の敗因

趙と秦の戦い。此度は秦の敗北で幕を閉じたのだった。やはり趙の宰相である李牧の軍略は凄まじい。

前線を任せられていた飛信軍は膨大な被害を受け、兵の大半を失った。飛信軍を率いていた大将軍である信も負傷した状態で帰還するのだった。

此度の敗戦によって、秦は城を一つ失うこととなる。しかし、秦の大将軍が一人も討ち取られなかったことに比べれば大したことではない。

新たな領土を広げた趙がそこを拠点としてまた攻め込んで来るかもしれないが、あちらの被害も膨大だ。秦とは逆で、趙は城を得る代わりに多くの将を失った。

軍を立て直すためにしばらく時間を要するだろう。用意周到な李牧のことだから尚更だと昌平君は睨んでいた。

結果だけ見れば、確かに此度は秦の敗北だが、昌平君の中に焦りはなかった。

これから体勢を立て直せば、趙から城を取り返すのは容易い。既に昌平君は先のことを見据えていた。

だが、もちろん李牧もこちらの思惑には気付き、落とした城を取り返されぬよう、対策を講じるに違いない。

いかなる策を用いようとも、次回は必ず秦を勝利に導く。昌平君は強い意志を瞳に秘めていた。

飛信軍の名は今や中華に轟いている。李牧でなかったとしても、無策で彼女たちを迎え撃つはずことはしないだろう。

防衛戦であったにも関わらず、前線で多くの敵を薙ぎ払った飛信軍の活躍に、秦軍の士気は確かに高まった。

しかし、強勢戦力である飛信軍が撤退を余儀なくされれば、秦軍の士気に影響が出ることは誰が考えても明らかである。李牧はそこを狙ったのだ。

地の利を生かし、武器の届かない山の上から弓矢射撃と投石を受けた飛信軍は撤退を余儀なくされた。

撤退する飛信軍を壊滅させようと追撃を行う趙軍に、他の秦将たちは兵を割く。

しかし、それも李牧の筋書き通りであった。

勢いを増した趙軍に目を向けさせておき、その隙にあらかじめ潜ませていた複数の部隊が後方を突く。見事なまでに、秦軍は李牧の策に踊らされたのである。

恐らく李牧が山の上に伏兵を隠していたのは、戦が始まる前からで、飛信軍が前線に赴くことも予想していたのだろう。

もちろん昌平君も地の利を活かした攻撃に警戒し、戦の前に兵たちに山の上を調べさせていたのだが、その時には伏兵の姿はなかったという。

木々に身を潜めていたのか、それとも兵たちが調査を終えた後にやって来たのか。今となっては分からない。

分かるのは、結果的に李牧の策通りになってしまったことだけだ。

 

治療

飛信軍の軍師である河了貂から聞いた話だと、前線で膨大な被害を受けたこともあってか、信は此度の敗戦は自分のせいだと思い込んでいるらしい。

自分の体の傷よりも、多くの兵を失った悲しみの方が堪えたようだ。

先に逝ってしまった仲間たちに勝利を捧げられなかったことを悔恨し、誰が見ても気落ちしているという。

彼女は今、療養のために与えられている咸陽宮の一室を与えられ、医師団から手厚い処置を受けている。

その日、昌平君は執務を終わらせた後に彼女がいる部屋に訪れた。あまり自責するなと一言伝えたかったのだ。

言ったところで彼女が素直に聞き入れるとは思えないし、何の慰めにもならないだろう。

本来は信ではなく、軍師である自分に責任がある。

策を講じるために軍師たちは机上での討論を行うが、実際の戦場では数千、数万の血が流れる。

深手を負い、辛い思いをするのが戦場に赴く信たちだからこそ、業は大勢の命を動かす自分が背負うべきだと昌平君は考えていた。

信がいる部屋の前には見張り役の衛兵が立っており、昌平君の姿を見るとすぐに頭を下げた。

見舞いに来たことを告げると、衛兵から布を手渡される。

「…これは?」

渡された布に小首を傾げながら問うと、この部屋に入る者は必ず鼻と口を覆うように医師団から指示が出ているのだと衛兵が答える。

話の詳細を尋ねると、どうやら信は医師団から絶対安静の指示を出されても、剣を振るうのをやめなかったらしい。

飛信軍の鍛錬は厳しいもので、信自身も兵たちにだけでなく己に厳しい鍛錬を行っていた。

当然そんなことをすれば縫った傷口はたちまち裂け、酷使した体が休まることはない。

どれだけ危険性を伝えても、亡くなった仲間たちに後ろめたさを感じるのか、信は医師たちの指示に従わずに鍛錬に打ち込んでいたのだという。

困り果てた医師団が秦王である嬴政にそのことを告げると、嬴政は自ら彼女を説得する訳でもなく「薬で眠らせろ」と命じた。

二人は成蟜から政権を取り戻す時からの長い付き合いだ。親友と言っても良いだろう。

自分が説得したところで信が大人しく従う女ではないと嬴政も理解していたに違いない。

大王がたった一人のためにそこまで命じるのは異例のことだが、逆に言えば、それだけ信との関係性が深いことを示している。

療養に集中させるため、信に眠らせる薬を飲ませるだけでなく、その効果が持続するように、特殊な香を焚いているのだそうだ。

その香の効力を受けないために、部屋に入る者は鼻と口を覆うよう指示が出たという訳だ。

毒ではないのだが、薬と同じで、吸った相手によって相性があるらしい。効き過ぎると厄介なことになるのだそうだ。

布で鼻と口元を覆って頭の後ろできつく結ぶと、衛兵が扉を開けてくれた。

「………」

布で遮られているとはいえ、僅かに甘い香りを感じ、昌平君は眉間に皺を寄せる。

(この香は…)

焚いてあるこの香に、媚薬の成分が含まれていることを彼はすぐに見抜いた。

過去に、同じ香りのものを嗅いだことがあったからだ。

反乱の罪で位を剥奪された後、病死したと言われる呂不韋が、まだ相国として秦国の政権を握っていた頃の話である。

女好きな彼が、部屋に宮女を連れ込んだ時もこの香を焚いていた。呂不韋の着物にこの香りが染みついていたのを、昌平君は覚えていたのだ。

こちらは何も訊いてもいないのに、べらべらと香の効力を話し出した呂不韋に「色話を聞かないそなたもきっと気に入るぞ」と言われた時には苦笑を浮かべることしか出来なかった。

媚薬と言えば性欲を増幅させたり、感度を上げるといったものを想像することが多いが、この香は違う。

酒を飲んだ時のような、気分を高揚させる陶酔感を起こさせ、それによって体の緊張を解くことが出来るらしい。

生娘を相手にする時は特に良いのだと、下衆な笑いを浮かべながら呂不韋が言っていた。

まさかこんな状況であの男を思い出すことになるとは思わず、昌平君の顔に嫌悪の色が表れた。

医師団も治療の一環として使用するくらいなのだから、相当な値が張るものなのかもしれない。金が好きな呂不韋が好みそうな代物ということだ。

「……、……」

部屋の奥にある寝台の上で、信は寝息を立てていた。

薬で眠らされるだけでなく、香の効果で体も強制的に脱力させられているようだ。

薬と香のせいとはいえ、こんなにも安らかな寝顔をしている彼女は他の兵たちでも見たことがないだろう。

傷が大方癒えるまでは、嬴政の指示でこの状態が続くに違いない。

特に左足の脹脛ふくらはぎの傷は深く、十針以上縫ったと聞く。

馬上で趙将と戦っている最中に、趙兵によって背後から切りつけられたという。足の骨や腱までは達しなかったのは幸いだった。

驚いた馬が飛び上がり、落馬したことで地面に体を打ち付けたのも体に響いているという。

落下の衝撃で、肋骨にひびが入ったようで、胸には厚手の包帯が巻かれていた。

他にも矢傷や切創など、信の体にはたくさんの傷痕がある。こんなぼろぼろの状態で普通の人間なら、痛みのせいで動けないに違いない。

だというのに鍛錬をして傷口を開かせるなんて、信には痛覚というものが存在しないのだろうか。

(いや…)

大勢の兵を失った悲しみと、趙に対する怒りで、体の感覚が麻痺しているのかもしれない。

昌平君は手を伸ばすと、彼女の頬にそっと触れる。しかし、深い眠りに落ちている信は頬に触れられたことにも気づいていないようだった。

 

不合理

城下町を見下ろせる広々とした露台で、まだ傷も癒えていない体に鞭打って鍛錬をする彼女の姿を見つけ、昌平君はもどかしい気持ちを抱いた。

偶然通りかかっただけだったのだが、なぜ療養に専念するよう言われていた彼女がここにいるのか。昌平君はその場で足を止めて彼女のことをじっと見据えていた。

六大将軍である王騎と摎の娘。二人が下僕の出である彼女を養子にしたのは、武の腕を見抜いたからなのだろう。

王騎と摎の見立ては間違っておらず、大将軍の座に就いた後も、信は二人に引けを取らぬ武功を挙げている。

「うッ…」

鍛錬を続けている最中に、戦で受けた傷が痛んだのだろう、苦悶の表情を浮かべて剣を手放した信を見て、昌平君はいよいよ声を掛けた。

「ただでさえ戦で酷使した体だろう。大人しく休んでいろ」

「……、…」

信が悔しそうな顔で昌平君を見上げる。

その瞳には力強い意志が秘められていて、此度の敗北に対する怒りの色が滲んでいた。死んでいった兵たちのことを想ってのことだろう。体を休めている暇などないと、信の瞳は物語っていた。

まだ体の傷は完全に癒えていないというのに、無理強いすれば再び傷が開いてしまう。

特に深手だったという左足の包帯には既に血が滲んでいた。せっかく縫い付けたというのに、これではまた医師団に診てもらわねばならないだろう。

今の彼女には何を言っても聞く耳を持たないだろう。それほど罪の意識に苛まれているのだと昌平君は分かっていた。

「…今のお前の務めは、療養に専念することだ。傷口が悪化すれば体が元に戻るまで時間がかかる。こんなにも当たり前のことがなぜ分からない」

昌平君の冷静過ぎる言葉に、信はぐっと奥歯を噛み締める。

「っ…」

何か反論しようと口を戦慄かせるが、言葉が見つからないようで、俯いて黙り込んでしまった。

きっと信も頭では理解しているに違いない。しかし、体を動かしていないと、何かに意識を向けていないと、多くの兵を失った罪悪感で心が押し潰されそうになるのだろう。

桓騎や王翦のように、策を成すために兵たちの命を手駒にしか見ていない大将軍もいるというのに、信は違う。

きっと嬴政と同じように、兵たちの命を重んじることが出来るからこそ、信は多くの兵や民に慕われているに違いない。

開いた傷口からの出血で、信の足下には血溜まりが出来ていた。

それだけではなく、鍛錬で体を酷使したせいで、疲弊している体も悲鳴を上げているようだ。信は苦しそうに呼吸をして、体をふらつかせている。

開いた傷口はまた縫い直されるだろう。昌平君は溜息を吐くと、迷うことなく彼女の腰元に手を差し込んだ。

「おわッ!?」

急な浮遊感と高くなった視界に、信が驚いて悲鳴に近い声を上げる。

「何しやがるっ!とっとと降ろせよ!」

昌平君の肩に担がれているのだと分かった信は顔を真っ赤にして、じたばたと手足を動かした。

「大人しくしていろ」

信の体を担ぎながら、昌平君は医師団がいる医務室へと歩き始めた。

軍の総司令官を務めている彼が知略だけでなく武の才も持っていることは信ももちろん知っていた。

過去には大将軍の一人である蒙武よりも強かったという話を人づてに聞いた時は、驚きのあまり言葉を失ったものだ。

「自分で歩けるっ」

昌平君の背中を両手で叩きながらそう言うと、彼の眉間に寄っている皺がますます深まった。

しかし、信の言葉に返答することもなく、黙って歩き続ける。

すれ違う者たちが驚いた顔をして二人を振り返るが、そんなものに構っている余裕などなかった。

「はーなーせーっ!」

着物を掴まれたり、背中を叩かれたり、まるで大きな野良猫でも相手している気分だと昌平君は考えた。

視界に映り込む信の左足の包帯は既に真っ赤に染まっていた。傷口が開いたのは分かっていたが、これだけ出血があるのなら、また縫われることになるだろう。

秦王である嬴政の勅令で医師団も彼女の治療に当たっていたというのに、傷が治りかける度に治療をしなくてはならない彼らの身にもなって考えてもらいたい。

「…お前を届けた後、大王様に現状報告せねばならんな」

大王様という言葉に反応したのか、信の身体がぴたりと動きを止まる。

信と嬴政は友好関係を築いていた。弟の成蟜から政権を取り戻す時からの付き合いらしく、嬴政は信のことを誰よりも信頼している。

本来ならば処罰に値するような無礼な態度も、信だからこそ許されているのだった。

そういえば、薬で眠らさせるように指示を出したのが嬴政だということを、信は知っているのだろうか。

眠らせる作用のある薬だと医師団から聞かされれば、きっと信は拒絶したに違いない。

上手いこと言い包められて眠らされたのだろうと思うと、あの治療が勅令であることは信は知らないのではないかと思った。

「…なあ、政のやつ…怒ってたか?」

表情は見えないが、信が寂しげに尋ねる。

「私の口から答えることではない。傷を癒してから確認すれば良い」

「………」

先ほどまでは暴れる野良猫を相手にしている気分だったが、今度は借りて来た猫のように大人しくなった。

 

処置

彼女を肩に担いだ状態で医務室を訪れると、待機していた医師たちがげんなりとした表情を浮かべた。

またかとでも言いたげな顔であるが、昌平君も彼らの気持ちは分かる。

「頼む」

医務室に設置されている寝台の上に信の体を寝かせると、彼女はまだ借りて来た猫のようにしゅんと縮こまっている。

すぐに医師が左足の包帯の処置に取り掛かった。血で真っ赤に染まった包帯を外す。開いた傷口が痛々しい。

幼い頃から戦場に身を置いていた信にはこれくらいの深手も慣れているようだが、こんな傷口を抱えた状態で鍛錬を続けようとするのは彼女くらいだろう。

他の医師が傷口を縫うために必要な物品を運んで来る。後は彼らに任せればいいと判断した昌平君は何も言わずにその場を去ろうとする。

「…?」

後ろから着物を引っ張られ、昌平君は反射的に振り返った。信が俯きながら、着物を掴んでいたのだ。

まるで行くなと言われているような態度だったが、どうしてそのような態度を取るのか。

後の処置は医師団たちが行うのだから、自分がこの場に留まってやることなど、何もないはずだと昌平君は考えた。

「何をしている」

問い掛けると、信は目を泳がせながら口を開いた。

「……終わるまで、腕貸せよ」

口の利き方には気をつけろといつも言っているのだが、相変わらず気をつけるつもりはないらしい。

しかし、口調とは反対に弱々しい態度だ。心細いのだろうか。

傷口を縫う時は当然痛みが生じる。傷を縫われるよりも、この傷を受けた時の方が痛かったに違いないだろう。

しかし、戦場では常に命の危険があるため、体があまり痛みを感じさせないように、痛覚を遮断することがあるという。

どれだけの深手を負っても武器を振るい続けられる将たちを大勢見て来たことから、その話には信憑性があった。

此度の敗戦で、大勢の兵たちの命を失った信もきっとそうだったに違いない。悲しみと憤りに心が支配され、自分の受けた傷の痛みなど気にする余裕がなかったのだろう。

鍛錬で体を動かしていなければ、死なせてしまった罪悪感に心が押し潰されそうになっていたのだろう。

「………」

信が着物から手を離そうとしないので、昌平君は諦めて彼女の要求に応えることにした。

医師の一人が信に布を渡す。寝台に横たわりながらそれを受け取った信は迷うことなく、その布を口に咥えた。舌を傷つけないための考慮である。

処置をしやすいよう、信は寝台にうつ伏せになり、脹脛ふくらはぎを上に向けた。

医師たちの邪魔にならぬよう昌平君が枕元に移動すると、信が彼の腕をぐいと引っ張る。

溢れ出る血を医師が清潔な布で拭っているのを横目で見ながら、昌平君は黙って彼女に腕を貸していた。

着物越しに自分の腕を掴んでいる信の手が僅かに震えているのが分かる。

「では、傷を縫います」

「う…」

医師の言葉を聞いた信が覚悟したように小さく頷く。

「―――ッ!!」

糸を通してある針が皮膚に突き刺さった途端、信に貸している腕がぎゅうっと強く握られる。

寝台に額を押し付けながら、信が布を強く噛み締めているのが分かった。

「ぅううっ…」

噛み締めた布の下で苦悶の声が上がる。

開いた傷口を弄られるというのは、当然だが苦痛が伴う。痛みによって左足が魚のように跳ねていたが、処置に差支えないように、医師弟子の手によって強く左足を強く押さえ込まれている。

「っ…」

相当な苦痛を堪えている信を見つめながらも、昌平君は彼女に貸している腕に痛みを覚える。

多少の痛みなら動じない昌平君だったが、あまりにも信が強く腕を握って来るので、腕の血流が遮られてしまいそうだった。

掴まれていない方の手を伸ばし、昌平君は腕を貸す代わりに、信の手に自分の指を絡ませる。まるで恋人や夫婦のような握り方だが、信も腕を掴んでいるより良かったらしい。五本の指が昌平君の手の甲に食い込んで来る。

裂けている傷口を縫い付けていく嫌な音も、血の匂いも、耐性がないものなら卒倒してしまいそうなものだった。

ふ、ふ、と苦しそうに息をしているが、処置はまだ続いている。間違って舌を噛ませぬためにも、口の布を外す訳にはいかなかった。

「………」

昌平君は信に強く握られている手をそっと握り返してやり、反対の手で彼女の頭を撫でてやる。

それだけで苦痛が和らぐとはとても思えないだが、他に掛けてやる言葉も思いつかなかったのだ。

しゃっくり交じりの声を聞き、信が涙を流していることは、容易に想像がついた。

 

弱気

―――処置を終えると、信の体はぐったりとしていた。

額には脂汗が浮かんでおり、ようやく布を外されたことで、大きく口を開けて、彼女は肩で呼吸を繰り返していた。頬には痛みを耐え抜いた涙の痕がいくつも残っている。

再び新しい包帯を巻かれていくのを横目で見ながら、昌平君はそういえばまだ手を握られたままでいることを思い出す。

体は脱力しているというのに、なぜか昌平君の手だけは放そうとしないのだ。疲労のあまり、手を放すのを忘れているのだろうか。

しかし、昌平君が指を離そうとすれば、まるで行くなと言わんばかりに手に力を込めて来る。

処置が終わったことは信も分かっているはずだ。握っている手がまだ震えていることから、まだ痛みの余韻と戦っているのだろうかと考える。

傷口を縫い直す処置には、これだけの苦痛を伴うことを信は分かっているはずだ。それなのに一体なぜ無茶をして、自ら同じ苦痛を受けていたのだろうと些か疑問を抱いた。

しかし、それだけ失われた兵たちに対する想いが強かったのだろう。

「…総司令官様」

処置を行っていた老年の医師が水桶で手を洗った後、険しい表情で昌平君を見た。

「傷口を弄りましたゆえ、これから高い熱が出るでしょう。今日は、信将軍を一歩も歩かせぬようにお願いします」

「………」

信にも聞こえるよう発した大きな声は、僅かに怒気を含んでいる。

他の医師や弟子たちも、彼と似たような表情を浮かべていた。無茶をする信に医師団たちも相当堪えているらしい。

開いた傷口を縫い付けるのが一体何度目かは分からないが、彼らの反応を見る限り、恐らく一度や二度ではないのだろう。困り果てて、嬴政に報告したというのも納得が出来た。

そして、彼らの怒りの矛先は言うことを聞かない信ではなく、彼女を従える軍の総司令官である自分に向いたという訳らしい。

大王の勅令で薬と香を用いてまで治療を行ったのに、確かに傷口が開いては元も子もない。

他の傷口は順調に回復しているとはいえ、このままでは左足の傷だけ治癒が望めなさそうだ。

「…善処しよう」

当たり障りのない返答をしてみたものの、結局は信の行動次第だ。きっと医師団たちも分かっているのだろうが、ここまで無茶をして何度も傷口を悪化させられると、腹が立つのも無理はない。

老年の医師が神妙な顔つきで部屋の奥にある薬が収納されている棚へ向かった。

振り返って昌平君にこちらへ来るように手招いたのは、信に聞かれてはまずい話をするからなのだろうか。

信に怪しまれぬよう自然な足取りで追い掛けると、医師は棚の引き出しを開けて何かを取り出した。

「いつも焚かせている香です」

特殊な樹皮を乾燥させた物らしい。医学と同じように、香の知識には乏しい昌平君であったが、これが呂不韋が話していた催淫効果のある香の原料だというのは分かった。

「…この香と薬の組み合わせですが、あまりにも効き過ぎるので、量の調整をせねばなりません」

「調整?」

薬の知識にはあまり得意でない昌平君が聞き返す。

香を焚く時に使用する量について説明始める医師に、看病に当たる侍女たちならまだしも、昌平君はどうしてそれを自分に話すのかと疑問を抱いた。

「…なぜそれを私に告げる?」

医師は答えず、もう一つ引き出しを開けた。中から色んな薬草を磨り潰して乾燥させた物を一摘まみ布に包み出す。こちらは眠らせる作用のある薬だと言った。

「液体に混ざると溶ける性質を持つので、粥か飲み物にでも混ぜて下さい。香は効き過ぎるので、焚くのは信将軍が眠られてからで構いません」

「………」

布に包まれた薬と香を押し付けるように渡され、昌平君は眉間に皺を寄せた。

せっかく治り掛けていた傷口が開いたのは軍の総司令官である自分の管理不足であり、責任を持ってお前が面倒を見ろということらしい。

そんな暇などある訳がないと言うのに、有無を言わさず香と薬を押し付けて来た辺り、医師も相当参っていることが分かる。

信の看病に当たっている侍女たちに渡そうと昌平君は考えた。彼女たちなら、香や薬の扱いは心得ているはずだ。

さて、問題はもう一つ残っている。

医務室から彼女が療養に使っている部屋まで、また自分が運ばなくてはならぬのか。昌平君の顔がますます強張った。

「総司令官様、もう一つお伝えしたいことが…」

医師に呼び止められ、昌平君は振り返った。

 

強引

「はあ…」

「…溜息を吐きたいのは私の方だ」

腕の中で信が何度目になるか分からない溜息を吐いたので、昌平君は冷たい瞳で見下ろした。

「自分で歩けるって言ってんのに…あの医師ども…!」

医師に何度も叱られたことに対して、信が落ち込んでいる様子はなかったが、今日は一日歩くなと言われたことに納得がいかないらしい。

これから熱が出ることを考慮して乗馬の許しも出ず、いつまでも屋敷に帰れないことを不満に思っているらしい。

嬴政の信頼している大将軍である彼女が今後、戦に立てなくなるのは困る。嬴政が医師団に治療の指示をした以上、彼らは信の傷を完治させる義務があるのだ。

彼らがその義務を果たすためには、信に大人しく眠っていてもらわねばならないのに、肝心の彼女が少しも言うことを聞かない。

「勝手を起こすせいで何度も傷を縫い直す彼らと、お前を部屋まで送る係を押し付けられた私の身にもなってみろ」

「へーへー、それは悪うございました」

「………」

少しも反省していないどころか、こんな状況に限って普段使わない敬語を用いる信に、昌平君のこめかみに青筋が浮かんだ。

背中と膝裏に腕を回し、信の体を両腕で抱きかかえながら歩く昌平君も、今の状況には納得がいかないのである。

軍の総司令官である昌平君が、飛信軍の将である信を抱きかかえながら歩いている光景に、すれ違う者たち全員が驚いていた。妙な噂を立てられるかもしれない。

療養のために与えられた部屋に戻って来ると、昌平君は思い切り彼女の体を寝台へ投げつけたい気持ちを堪えて、足に負担がかからないように寝台へと座らせた。

「…悪かったな」

先ほどと同じ言葉を掛けられるが、しゅんとした表情と元気のない声色から、謝罪の気持ちが籠っているのが分かる。

「療養に専念しろ。次に鍛錬をしているところを見つけたら、寝台に縛り付けるぞ」

「うう…」

怒気を込めた言葉が決して冗談ではないことを察し、信は怯えたように顔を強張らせた。

寝台の傍にある台に水甕と杯を見つけ、昌平君は信の死角になるように背を向けてその場所に立ち、杯に水を汲んだ。

袖の中から先ほど医師にもらった薬を取り出すと、自然な手付きで杯の中に入れる。

液体に溶け出す性質があると言っていたが、水の中に薬が落ちた途端、医師の言葉通り、それはみるみるうちに溶けていった。

用意されていた杯が黒色なのは、恐らく薬が解けているのを色で気づかれないようにするためだろう。

「信」

「ん、ああ…」

薬を混ぜたことは告げず、昌平君は彼女に杯を差し出す。

苦痛を伴う処置でかなり汗をかき、喉が渇いていたのだろう、信は疑いもせずに杯を受け取る。その時、彼女がはっとした表情を浮かべた。

(気付かれたか?)

色んな薬草を磨り潰して乾燥させたそれは、確かに独特な匂いを発していた。色は杯で誤魔化せても、薬独特な匂いは誤魔化せないだろう。

だが、毒を盛ろうとしている訳でもないし、むしろ今の彼女には必要な薬だ。咎められる理由はなかった。

黙って薬を飲ませようとしたことから逆上されるのかと思いきや、信は杯を握りながら、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「…腕…」

「腕?」

切なげに眉を寄せた信が昌平君の腕を見つめている。

その視線を追い掛けると、袖から見える腕があり、先ほどの処置中に、強く掴まれた指の痕がくっきりと残っている。

自分がそれほどまで強い力で腕を握っていたのだと分かり、信はばつの悪そうな顔で俯いた。

追い打ちをかけるように昌平君が口を開く。

「…医師たちが、次に同じようなことがあれば、傷口を焼くと言っていた」

「ひッ…」

信が分かりやすく青ざめた。傷の縫合だけでも凄まじい苦痛だったというのに、傷口焼くだなんて想像を絶する痛みに違いない。

本当はそんなことを言っていなかったが、恐らく一つの手段として医師たちも考えているに違いない。彼らの心中を察した昌平君は、そろそろ信を抑制しておかねばと思っていた。

またいつ戦が起こるか分からない。近隣の国が趙に敗北したこの機を狙って迫って来る可能性は十分にあった。

飛信軍を率いる彼女には一刻も早く傷を癒してもらい、次の戦に備えてもらいたい。それは嬴政も昌平君も同じだった。

「………」

脅し文句が効いたのか、信は再び借りて来た猫のようにしゅんと縮こまっている。

「…飲まないのか?」

杯を握り締めたままでいる信に、昌平君はじれったくなって声を掛けた。

敗戦の事後処理に追われている最中ということもあって、正直、これ以上の時間は掛けられない。

だが、医者からあのように言われてしまった手前、薬を飲ませずに離れる訳にもいかなかった。

「だってよ…これ飲んだら・・・・・・、次いつ起きるか分かんねえだろ」

彼女の口ぶりから、薬が溶かされていることには気付いていたらしい。

「なら、大人しく寝台に横たわっていられるか?」

「………」

信は何も答えずに、頬をむくれさせている。

やはりこのままでは信は鍛錬で体を動かし続けるだろう。それほどまで、大勢の兵を失った今回の敗戦は信の心に傷をつけたようだ。

はあ、とわざとらしく溜息を吐いた昌平君が信の手から杯を奪った。

「…分かった」

「えっ?」

軍の総司令官が自分の気持ちを理解してくれたことに、それまで暗い表情を浮かべていた信の瞳に光が灯る。どうやら薬を飲まなくても良いように、見逃してくれると思ったらしい。

しかし、信が顔を上げると、昌平君はなぜか杯の水を口に含んでいた。

「は?お前、何して…」

一体何をしているのだと信が目を丸めていると、昌平君はすぐに信に顔を近づけ、自分の唇を彼女の唇に押し当てたのだった。

「んッ、んぅう――!?」

視界いっぱいに昌平君の端正な顔が映っているのと、唇に柔らかい感触が当たっていることに驚く間もなく、口の中に薬が溶かされた水が流れ込んで来る。

「むぅ―――!」

飲む訳にはいかないと思っていたそれが一気に流れ込んで来て、信はすぐに吐き出そうとした。

しかし、昌平君もそれを分かっていたようで、唇を押し当てたまま動かない。

諦めて飲み込めば良いものを、信の両手がじたばたと暴れ、昌平君の着物や髪を乱暴に掴む。

「~~~ッ!!」

必死に抵抗する信の体を両腕で抱き押さえ、その勢いを利用して、昌平君は信の体を寝台に押し倒した。

「んぐッ」

寝台に背中を打ち付けた衝撃で、信の喉がごくんと動く。

ようやく飲み込んだかと昌平君が唇を離すと、信はむせ込みながら、耳まで顔を真っ赤にしていた。

「な、な、な、何しやがるッ!」

「お前が大人しく飲まないからだ」

せっかく飲ませたというのに、指でも突っ込まれて吐き出されては困ると、昌平君は信の体を組み敷いたままでいた。

「おっ、おい、いい加減に放せよッ」

「吐き出さぬと誓えるか?首を掛けてもらうぞ」

「………」

あからさまに目を泳がせて信が沈黙する。吐き出すつもりだったらしい。

呆れた女だと昌平君は何度目になるか分からない溜息を吐いた。

傍から見れば、軍の総司令官である昌平君が、飛信軍の将である信を押し倒して、今まさにその身を味わおうとしている姿にしかみえないだろう。

「ったく、どいつもこいつも、足のケガ一つで大袈裟なんだよ…」

しかし、信の方は不貞腐れた子どものような表情を浮かべている。

これだけ密着しておいて、異性として何も意識しないのは彼女だからこそだろう。

「………」

信と同様に、自分も何も意識せずにいるべきだと頭では分かってはいるのだが、触れ合っている肌の柔らかさや、意外と細い身体、吐息、長い睫毛など、様々な情報が飛び込んで来る。

心臓が早鐘を打っていると気づかれないだろうかという不安に襲われ、昌平君はさり気なく顔を背けていた。

きっと今の自分は情けないほど赤らめていることだろう。

好いている女に薬を飲ませるという目的で口づけただけでなく、これだけ傍にいて、男が冷静でいられるはずがないのだ。生殺しも良いところである。

「なー、吐き出さねえからそろそろ放せよ。お前、重いんだよ」

「なら薬を吐き出さないことに首を掛けられるのだな」

「………」

「………」

もしも、彼女の体を抱き締めているのが薬を吐き出させないためという目的ではなく、触れたかったからだと正直に告げれば、彼女は困惑するだろうか。

いや、鈍い信のことだ。こちらも気持ちも知らずに、「触りたければ触れば良い」とでも言うに決まっている。

早く薬が効いてくれることを願いつつ、昌平君はこのままで居たいと言う複雑な想いに思考をぐるぐると巡らせていた。

「うう…にっげえー…」

信は密着していることよりも、口の中に残る苦味の方が気になっているらしい。

薬を吐き出すことも叶わず、かといって苦味の残る口を濯ぐことも許されず、信は昌平君の腕の中で芋虫のようにもぞもぞとしていた。

薬が効き始めるまでは多少の時間はかかるが、せめて吐き出せなくなるくらい体に吸収させねばならない。

口の中に苦味が残っているのは昌平君も同じである。

…信が薬を嫌がる理由は眠らされることではなく、本当はこの薬の苦味なのではないかと考えた。

 

薬効

一刻ほど経過した頃、瞼が重くなって来たらしい。うつらうつらとしている信を見て、薬が効き始めたのだろうと察し、昌平君はようやく彼女を解放した。

大人しく眠れば良いものを、身体が眠気に抵抗するように、瞼を擦っている。

(…香を焚かねば)

袖の中に入っていたもう一つの白い布を開くと、特殊な樹皮を乾燥させたものだというが、どうしてこれに催淫効果が生じるのか、昌平君には分からなかった。

部屋の隅に置かれていた灰が詰められている聞香炉に目を向ける。

この部屋に来るまでに侍女が火を点けておいてくれたのか、中の灰はまだ熱を持っていた。

香筋火箸のことを使って、医者から渡された樹皮をまだ熱い灰に埋める。

じっくりと温まっていく樹皮から、甘い香りが漂って来て、昌平君は思い出したように着物の袖で鼻と口元を覆った。

以前、部屋に訪れた際には衛兵から布を渡されていたが、そういえば今は用意がなかった。

「ぅう…ん…」

寝台の上にいる信が切なげに眉を寄せている。まだ寝入ってはいないようだが、すぐにでも意識が途切れてしまいそうだ。

信が眠ったのを見届けてから部屋を出ようと考えていた昌平君は、着物の袖で鼻と口元を覆ったまま、彼女を見つめる。

「…昌平、君…」

まさか朦朧としている意識の彼女に名前を呼ばれると思わず、昌平君は反射的に彼女に近寄っていた。

鼻と口元を覆っていない反対の手を掴まれたかと思うと、信は甘えるようにその手を頬に押し当てる。

何をしているのだと驚いた拍子に思い切り息を吸い込んでしまい、甘い香りで頭がくらりとした。

酒を飲んだ時のような、気分を高揚させる陶酔感を起こさせて、体の緊張を解く効果があるのは分かっていたが、ひっくるめて言えば催淫効果だ。

身体が熱くなっていくのを感じ、これ以上この香を吸う訳にはいかないと、昌平君の頭の中で警鈴が鳴る。

こんな即効性のある香だとは思わなかった。昌平君の脳裏に、医師の言葉が蘇る。

―――香は効き過ぎるので、焚くのは信将軍が眠られてからで構いません。

眠ってから香を炊くようにと言われていたが、まさかあの言葉は信ではなくて、香を焚く者・・・・・を気遣った言葉だったのだろうか。

もう信の瞼は落ちかけており、昌平君を掴んでいた手が寝台に力なく落ちた。

「――、―――」

朦朧としている意識で信が唇を戦慄かせている。僅かに空気を震わせたその言葉を聞き、昌平君は目を見開いた。

 

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