キングダム

ユーフォリア(昌平君×信)中編

キングダム ユーフォリア2 昌平君 信 平信
記事内に商品プロモーションを含む場合があります
Pocket

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 昌平君×信/李牧×信/ヤンデレ/無理やり/メリーバッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

前編はこちら

 

目覚め

次に信が目を覚ましたのは、それから七日後のことだった。

途中で水を飲まされたり、食事を食べさせられることはあったのだが、ほとんど意識が朦朧としていたため、よく覚えていない。

恐らく水と食事にまた同じ薬を盛られて、眠らされ続けていたらしい。

目を覚ました時に、信が強く感じたのは体の怠さだった。ずっと横になっていたせいか、特に腰の辺りが痛む。

「うう…」

ぼんやりとする意識が徐々に鮮明になって来たが、信は自分はなぜここにいるのかを思い出せずにいた。

傷を癒すために付きっきりで看病していた侍女はちょうど席を外しており、部屋には信一人だけだった。

ゆっくりと上体を起こすと、くらりと目の前が揺れた。ずっと横になっていたせいで立ち眩みと同じ症状を起こしたようだ。

眩暈が落ち着いてから、信は寝台から足を降ろす。再び眩暈がして、信は立ち上がれずに座り続けていた。

(早く、遅れた分を取り戻さねえと…)

ずっと休んでいた間、筋力がすっかり衰えてしまっているのが分かった。

傷口の処置をした後は必ず熱が出る。そのせいで筋力だけでなく、体力も随分と衰えてしまったのだろう。

左足の傷はまだ包帯が巻かれていたが、大分痛みも引いており、塞がり始めているようだ。床に足裏をつけても、左足の痛みはさほど感じない。

枕元に置いてある水甕から水を汲み、信は喉を鳴らして水を飲み込んだ。

「はあ…」

乾いていた喉が潤い、信は長い息を吐く。

包帯が綺麗に巻き直されていることから、恐らく眠っている間も医師団は処置をしに部屋に訪れていたに違いない。

(みんな心配してるだろうなあ…)

…もうそろそろ自分の屋敷に戻っても良いのではないかと考えた。

次に同じ無茶をすれば傷口を焼くと脅されたことは、長い眠りについていた信の記憶からは既に抜け落ちていた。

「…あれ?」

まだ睡魔が圧し掛かっている瞼を擦ると、信は部屋に違和感を覚える。

咸陽宮の一室を与えられていたはずだが、扉の位置が異なっていたのだ。眠っている間に部屋を移されたのだろうか。

「う…」

ゆっくりと立ち上がると、体重が掛かったせいか左足が僅かに痛んだ。

しかし、記憶にあるような激しい痛みではない。確実に傷が治って来ている証拠だ。腰の辺りもずきんと痛む。

左足を気遣いながら扉を開けると、すぐ真上から涼し気な鈴の音が鳴り響いた。

「?」

何の音だと顔を上げると、扉の上方に鈴が取り付けられているのが見えた。

妓女が舞を踊る時に衣裳や小道具に取り付けているようなものだ。どうしてこんなものがあるのだろうと信が不思議に思いながら廊下に出る。

目に飛び込んで来た景色に、信は感じていた違和感が確信となった。

(…ここ、どこだ?)

咸陽宮ではない。見覚えのない廊下に信は驚いて辺りを見渡した。

廊下の向こうからぱたぱたと誰かが走る音が聞こえ、信は反射的に顔を向けた。

 

再会

見覚えのあり過ぎる少女が信の姿を見て、笑顔を浮かべる。

「信!起きたのかッ!」

「テン?」

飛信軍の軍師である河了貂だった。飛信隊を結成した当初からの仲間であり、妹同然でもある彼女とは、此度の戦を終えてから一度も会っていなかった。

久しぶりの再会に信は笑顔を浮かべる。

「久しぶりだなあ、テン」

「このバカッ!」

頭を撫でてやろうと思ったのだが、河了貂は小柄な身柄を活かし、信の手を軽々と避けて、逆に彼女の頭を思い切り叩いた。

一切の容赦がない攻撃による痛みに、信はつい涙目になる。

「いってえな!何しやがる!」

「ひどい傷だったのに、少しも大人しくしないで、みんなに散々迷惑かけてたって先生から聞いたぞ!」

可愛らしい少女の顔が鬼の形相になっており、信は思わず後退りした。

彼女が先生と呼ぶのは軍師学校の師であり、軍の総司令官を務めている昌平君のことだ。信が眠っている間に、昌平君が河了貂にも今までの話をしていたとは。

「つーか、ここ…どこだ?」

叩かれた頭を擦りながら、信は河了貂に尋ねた。

「先生の屋敷だよ」

「ああ、昌平君の…って、なんでだよッ」

医師団がいるという理由で、咸陽宮に療養をさせられていたというのに、一体どうして昌平君の屋敷に来ているのだろう。

恐らく薬で眠らされている間に連れて来られたのだろうが、移動させられた理由が分からず、信は困惑した。

信の反応を見て、河了貂が不思議そうに小首を傾げる。

「そんなの俺だって知らないよ。医師団にあんまり迷惑掛けるから追い出されたんじゃないの?」

「はあ?処置の後は一歩も歩くなとか、散々言っときながら何だよそれ」

七日も薬で眠らされていたことを信は知らなかったのだが、左足の傷は大方塞がりかけていた。無茶をしなければもう傷口が開くことはないだろう。

「でも、移動させられたっつーことは、もう屋敷に帰って良いってことだよな?みんな心配してんだろーな」

ようやく屋敷に帰れるのだと信は安堵の表情を浮かべる。

「うん、みんな…心配してた…」

河了貂が伏し目がちにそう言った。泣きそうになっている彼女に気付き、信は慰めるように頭を撫でてやる。

「心配かけて悪かったって。昌平君に礼言ったらすぐ帰るから」

「………」

少しも河了貂の悲しそうな表情が優れないので、信はどうしたのだろうと彼女の顔を覗き込む。

河了貂の瞳には信のことを心配していたというよりは、まるで二度と会えなくなってしまうような、大きな悲しみが浮かんでいた。

「…テン?どうした」

「俺…俺、信じてるから…!飛信軍のみんなも…!」

「え?」

いきなり河了貂が胸に飛び込んで来たので、信は驚きながら、その小柄な体を抱き締める。

信の胸に顔を埋めている河了貂からすすり泣く声が聞こえる。こんな風に彼女が泣き出すは初めてのことで、信は一体どうしたのだと狼狽えた。

「お、おい?どうした?俺はちゃんと生きてるだろ!」

河了貂は何も言わず、信の体を抱き締めたまま放さない。

…しばらく顔を上げずにいた彼女だったが、ようやく落ち着いたのか、真っ赤な目を擦りながら信から離れた。

「じゃあ、俺は先に戻るから」

「ああ。羌瘣たちにもすぐ戻るって伝えてくれ」

河了貂は無理やり笑みを浮かべて頷いていたが、気が緩めばまた泣いてしまいそうな弱々しい表情をしていた。まるで信にその顔を見られまいとするように、河了貂は背中を向けて行ってしまう。

(…なんだったんだ?)

あんな風に取り乱す河了貂を見るのは随分と久しいことだった。河了貂は幾度も死地を乗り越えて来た仲間であり、飛信軍には欠かせない軍師だ。

戦場に立つ自分たち寄りも重責を担っていることもあって、滅多なことでは涙を流さないはずなのに。

(当然か…)

信が今回の戦で兵を大勢失ったことを悔やんでいるように、河了貂もきっと同じなのだろう。

軍師の武器はその頭脳だ。将や兵たちの命を動かすということは、戦場においては一番の重責を持つことになる。

李牧の策に陥ったことを、大勢の兵たちを失ったことを、河了貂は気に病んでいるに違いない。そうでなければ心の強い彼女があんな風に涙を流すはずがないと信は思っていた。

「…信」

名前を呼ばれて、信は弾かれたように顔を上げた。

「昌平君」

向こうの廊下からやって来た昌平君を見て、信は左足の傷が癒えて来たことを知らしめるように、何ともない顔で駆け寄って見せた。

 

疑い

左足を引き摺る素振りもなくこちらに近づいて来る信の姿に、昌平君が僅かに眉を寄せる。

まだ傷が完全に塞がり切っていないこともあり、心配しているのだろう。しかし、ここまで傷が癒えたのなら、もう普段通りに動かせるはずだと信は疑わなかった。

「…ここ、お前の屋敷なんだろ?なんで連れて来たんだよ」

礼を言う前に、信は素直に疑問を口に出した。

咸陽宮には自分の世話係に任命されていた侍女たちもいたはずだ。信を屋敷に連れて来たところで、従者たちの仕事を増やすだけだろう。

「…他の者に聞かれたくない話がある」

「え?」

信の疑問には答えず、ついて来いと目配せをされ、信は大人しく彼の背中を追い掛けた。

眠っていた部屋に戻って来ると、すぐに扉が閉められた。涼し気な鈴の音が鳴り響いたが、急に重々しい空気を感じる。

昌平君は閉めた扉の前に立ちはだかるようにして、信のことをじっと見据えていた。

扉の前に立ったのは、廊下から気配や物音をすぐに感知するためなのだろう。自分の屋敷だと言うのに、従者たちにも聞かれないよう、細心の注意を払っているようだった。

「…なんだよ。聞かれちゃまずい話って」

昌平君が静かに腕を組む。先ほどの河了貂のように、そっと目を伏せて、昌平君は離しを切り出した。

「河了貂から話を聞いた」

「話?何の…」

尋ねると、それまで伏し目がちだった昌平君の瞳に急に怒りの色が宿った。鋭い視線を向けられて、信は狼狽えてしまう。

びりびりと肌に食い込むような痛みを感じるほど強い敵意を向けられているのだと察し、信は固唾を飲み込んだ。

河了貂の名前が出たことから、信がこれまで療養に専念しないでいたことを怒っている訳ではなさそうだ。昌平君は一体何を怒っているのだろう。

「…私が指示を出した山中の伏兵調査に行ったのは、お前だったそうだな」

「え?あ、ああ…」

此度の戦で、飛信軍が通る道を囲む山に、趙の伏兵がいないかを調査するように昌平君から指示があった。

その調査に行ったのは信と彼女の指示でついて来た五十人の兵たちだ。もしもその場に趙の伏兵がいたのなら、一層してしまおうという目的も兼ねて、信は自ら調査に乗り込んだのだ。

もちろんそれは河了貂や副将である羌瘣からも許可を得て行ったことであり、決して独断ではない。

そのことを責められるような覚えはなく、どうして昌平君がその話を持ち出したのか、信には少しも分からなかった。

信から目を逸らした昌平君が小さく溜息を吐いた。

「なぜ見逃した・・・・?」

「え…」

一体何を問われているのか、信は分からなかった。

「見逃したって…何を…」

「趙の伏兵のことだ」

低い声でそう返され、信のこめかみに鋭いものが走る。まさか伏兵調査に行った自分が、わざと趙兵たちを見逃したと思っているのだろうか。

「お前…まさか俺を疑ってんのかッ!」

弾かれたかのように信は体を動かし、昌平君の胸倉を掴んでいた。

彼女に鬼神の如く凄まれても昌平君は眉一つ動かさない。そして信を疑っていることを彼は否定しなかった。

「では、伏兵調査に協力した兵たちに尋ねよう。具体的にどの道を使い、どこを調査したのかを答えられる者がいるはずだ」

「ッ…」

第三者に趙の伏兵を見逃していないことを証明させろという言葉に、信が悔しそうな表情で奥歯を噛み締める。

山中へ伏兵調査に向かった兵たちは此度の戦で全員がその命を失った。信が趙兵を見逃していないと証明してくれる者は誰もいない。

しかし、軍の総司令官を務める昌平君ならば、此度の飛信軍の被害は分かっているはずだ。それでも、あえて言葉に出したのは、自分自身の目で信の動揺を確かめるためだった。

「お前…何が言いたいんだよ…!」

胸倉を離すと、昌平君は乱れた着物を整えながら、信に冷徹な目を向ける。

「此度の戦の敗因…お前が李牧に作戦を伝えた密通者であると、私は疑っている」

その言葉を聞き、信は目を見開いた。

「そんなことするはずないだろ!李牧は父さんの仇だぞッ」

逆上した信が顔を真っ赤にして怒鳴った。秦の大将軍の立場を語るより先に、父である王騎の仇である男に従うはずがないと言ったのは、今もなお李牧を憎んでいる証拠だろう。

「…秦趙同盟の宴」

昌平君は相変わらず表情を変えず、淡々と言葉を発した。

数年前に解消された同盟だ。どうして当時の話を持ち出すのだろうと信が顔をしかめる。

「あの夜、お前はどこで何をしていた?」

自分に向けられる昌平君の眼差しが疑いのものではなく、完全に敵を見るものになっており、信は愕然とする。

軍の総司令官である昌平君が、本気で秦の六大将軍である彼女のことを密通者として疑っているのだ。

―――俺…俺、信じてるから…!飛信軍のみんなも…!

先ほど河了貂が泣きそうな顔でそう訴えたことを思い出し、信ははっとした。

彼女がそう言ったのは、昌平君が自分に趙の密通の疑いを持っていることを弟子である彼女に告げたからなのだろうか。

自分の無実を証明するためには一体何をすれば良いのか、信は呼吸を乱しながら思考を巡らせた。

王騎の仇である李牧と繋がっているだなんてするはずがない。李牧に復讐心を持っている自分が一体どうして趙国の味方をしなくてはならないのか。

李牧が王騎の仇であり、自分が誰よりも李牧のことを恨んでいるというのに、昌平君に疑われたことが信には悔しかった。

山中の伏兵の攻撃を切り抜け、趙に勝利すればこんな疑いを掛けられることはなかったのだろうか。

全ては自分の弱さが招いたことだと分かり、信はもどかしい気持ちに拳を握った。

「途中で宴を抜けたのは俺だけじゃないだろ」

「そうだ。李牧も途中で宴を抜けていた」

完全に疑われている。どうして自分を信じてくれないのだと信は苛立った。

「…王騎の仇である男と、なぜ二人でいた?」

「え…?」

秦趙同盟の宴は終始不穏な空気に包まれていた。王騎を討った軍略を企てた李牧の存在が影響していたに違いない。

信も王騎軍の者たちも、いつ李牧を殺そうかと機会を狙っていたのだ。宴など楽しめるはずがなかった。もちろん秦趙同盟が結ばれた直後であったため、そのような勝手は許されなかったのだが。

王騎の仇である男と同じ部屋にいたくないと、信は足早に宴を抜けた。

宴の間を出て、屋敷へ戻ろうとした信をあの男が呼び止めたことは、信の記憶には確かに残っている。

そしてまさかそれを昌平君に見られていたとは思わず、信は嫌な汗を滲ませた。

 

回想~密会~(李牧×信)

「―――飛信軍の信」

振り返ると、そこには趙の宰相である李牧がいて、彼は確かに信の名前を呼んだ。

信は反射的に背中に携えている剣に手を伸ばしていたが、鞘から引き抜く寸前で己を制した。

追い掛けて来た上に、わざわざ名前を呼んで振り向かせたのだ。何か用があるのだろう。

同盟さえ結ばれなければすぐにでも彼を斬っていたのに、信は握った拳を震わせて李牧が用件を話し始めるのを待っていた。

「やっと、会えましたね」

あからさまに敵意を剥き出しにしてこちらを睨み付ける信に、李牧がなぜか薄ら笑いを浮かべている。

「せっかくの宴の席ですし、そう怖い顔をしないでください。と言っても、無理でしょうが…」

こうやって直接対峙するのは初めてのことだった。あの父を討った軍略を企てた男としてその名前は何度も聞いていたし、向こうも飛信軍の活躍から信の名前は知っていたに違いない。

しかし、母である摎がそうだったように、信も戦では仮面で顔を隠していた。今は仮面を外していたのだが、初めて素顔を見せるはずの李牧がなぜ自分だと分かったのか、信は疑問を抱いた。

「…なんで俺を知ってる」

「それは愚問ですね。王騎を知らぬ者が居ないように、あなたの存在を知らぬ者もこの中華には居ないはずですよ」

「そうじゃねえ。俺はお前に一度だって、この顔を見せた覚えはねえよ」

どうして李牧が自分の素顔を知っているのかと尋ねると、李牧は人の良さそうな笑みを浮かべた。

「さあ、どうしてでしょう」

「………」

名前を呼ばれて振り返ってしまったが、それは自分が飛信軍の女将軍だと認めたことに等しい。素知らぬ顔で歩いていれば上手く撒けたかもしれないと信は思った。

自分の気付かぬところでこの男の策に陥っていると思うと、腹が立って仕方がない。そうやって王騎もこの男の策に陥れられたのだ。

仇である彼と何も話すことはないと、信は李牧に背を向けた。

しばらく歩き続けていたが、一向に背後から李牧の気配と足音が消え去らなかったので、信の苛立ちがますます波立つ。

「てめえっ、いつまでついて来るんだよ!」

怒鳴りながら振り返ると、先ほどと全く同じ距離感を保ちながら、李牧は信を追い掛けていたらしい。

信が睨み付けても、李牧はその怒りを煽るように笑うばかりだ。人の良さそうな笑顔をしているが、父の仇であるこの男に心を許すことは絶対にしたくなかった。

あと一歩でもこちらへ近づいたら容赦なく斬り捨ててやろうと思っていたのだが、どうやら李牧の機嫌をますます良くさせるだけだったらしい。

懐かない野良猫の相手をしているような、寛大な心を見せつけているつもりなのだろうか。

「感謝します」

「は…?」

いきなり李牧が供手礼をしたので、信は呆気にとられた。

王騎の仇である男に向けていた感情など憎しみ以外なにもないというのに、感謝される理由など思いつかない。

「交渉の場で、あなたが剣を抜いていれば、私と配下たちの命はなかったでしょう」

「………」

信のこめかみに鋭いものが走る。

宴が行われる前に、巧みな交渉術で李牧と呂不韋は戦を繰り広げていた。

呂不韋が持ちかけた交渉の末、李牧たちは命の代わりに趙の城を一つ明け渡すことになったが、状況としては秦の優勢であってのは明らかだ。

信が制止しなければ、王騎軍の者たちはすぐに主の仇を取ろうと李牧に襲い掛かっていただろう。

王騎の娘である信が剣を抜かなかったこと、隠し切れない殺意を露にしていた兵たちを留めていたことで、李牧の首が守られたといっても過言ではなかった。

「あなたが剣を抜かなかったのは、気まぐれではないはず」

李牧に指摘され、信は舌打った。

面と向かって会うのは初めてだというのに、まるで自分の考えていることを見抜いたかのような口ぶりに、信は無性に苛立った。

許されるなら首を取りたかったが、武器を持たぬ無防備な相手を討ち取ることは、信の中で正義に反していた。

そんな卑怯な真似で仇をとっても、天下の大将軍と称えられた父と母に顔向けが出来ない。

戦で李牧を討ち取ることこそ、王騎への手向けになるのだと信は思っていた。だから李牧に感謝される理由など何処にもないのだ。

「…お前には関係ねえよ」

目を逸らした信が宴の間へ戻ろうとした。

これ以上宴に参加するつもりはなかったのだが、人の多い方へ向かえば李牧も話し掛けなくなるだろう。

李牧の横をすり抜けようとした時、腕を掴まれた信は、反射的に彼を振り払おうと反対の手を振りかぶった。

それは無意識の行動で、幾度も戦に出て来た体が勝手に行ったようだった。

だが、李牧の反応も早い。振り払おうとした腕も押さえ込まれてしまう。両腕を李牧に掴まれた状態になり、信は噛みつくような鋭い眼差しを向けた。

「ッ…」

両腕を押さえ込まれた状態で、信は腕を振り払おうと力を込める。

腕の血管が浮き立つくらい力を込めているのだが、信の手首を掴む李牧の手は少しも外れなかった。

「どうしました?随分と必死のようですが」

信は歯を食い縛って力を込めているというのに、李牧と言えば薄ら笑いを浮かべながら、大して力を込めていないように見える。

余裕で力の差を見せつけるような態度に、信のこめかみに青筋が浮かび上がる。

(なんだ、こいつ…)

軍師のくせに、一体どうしてこんな力があるのだと信は表情に出さず、狼狽えた。

「あまりいじめても可哀相ですね」

「ああッ!?」

からかうようにそう言われ、信がドスの効いた声で聞き返すと、李牧は笑いながら彼女の両腕を放した。

「それでは、また」

用はもうないようで、信に睨まれながら、李牧は宴の席へと戻っていったのだった。

(あいつ、絶対に殺してやる…!)

後ろ姿が見えなくなるまで、信は李牧のことを睨み続けていた。

 

牧信バッドエンドはこちら

 

誤解

「お前…見てたのか…?」

嫌な汗を滲ませながら、信は声を震わせた。昌平君は何も答えない。沈黙するということは、恐らく肯定だった。

「あれはっ、李牧の野郎が俺を追い掛けて来て…!」

信は彼の誤解を解く方法はないかと必死に思考を巡らせる。しかし、もう何を言っても自分への疑いは晴れないかもしれないという不安が胸の内を渦巻いた。

「久しぶりの逢瀬は、さぞ楽しかったことだろう」

逢瀬という言葉を聞き、信は全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。

どこで昌平君が見ていたのかは分からないが、李牧に両腕を掴まれて、身を寄せ合っていた姿に、男女の関係だと誤解されていたのかもしれない。

「違う!俺と李牧はそんなんじゃないッ!普通に考えりゃ分かるだろ!」

顔を真っ赤にして否定するが、昌平君の表情は微塵も揺らがなかった。

このままでは李牧と密通していたことを覆すことが出来ず、処罰を受けることになるかもしれない。

信が恐れているのは決して処罰ではない。父の仇である憎い男に協力していたなんて、ましてや男女の仲だと誤解されるなんて、屈辱でしかなかった。

もしも密通の疑いで首を撥ねられることになれば、両親に合わせる顔がない。

わざとらしく昌平君は溜息を吐く。

「…疑わざるを得ないだろう」

彼の瞳に軽蔑の色が宿っているのが見えて、信は言葉を失った。もう身の潔白を晴らすことは叶わないのかもしれないとさえ思った。

李牧が秦の脅威であることは間違いない。彼の軍略に幾度も苦しめられて来たし、王騎を討った事実は、何より李牧の存在を際立たせるものである。

どこから李牧の策通りになっているのか、総司令官である昌平君も常に疑っていた。

いかに警戒していても、内通者がいるとすれば内側から楔が壊されてしまう。内通者は、秦国を陥れる存在だ。

敵国の内通者になるということは、亡くなった両親だけでなく、多くの仲間たちを裏切ることと同じである。

幼い頃から秦国に仕えていた自分がその内通者だと疑われるのは、信には心が引き裂かれるよりも辛いことだった。

「なんで…信じてくれないんだよ…」

信は声を震わせながら、俯いてしまった。李牧の策に陥って失った父や、仲間たちの姿が瞼の裏に浮かび上がった。

「俺は…裏切ってなんか、ない…」

それ以上の言葉は出なかった。自分が秦を裏切っていないことは紛れもない事実だからである。

証拠を示せと言われても、それは叶わない。忠義の厚さなど目で見て測れるものではないし、密通などしていないのだから、いくら調べようにも証拠は出て来ない。

自分を疑う昌平君の心を動かすにはどうしたら良いのか分からず、信は黙り込んでしまった。

「李牧と繋がっていないのなら、その身で示せ」

「…え?」

昌平君の言葉の意味が理解出来ず、信は顔を上げた。

やっと自分を信じてくれるのかという期待もあったが、何をすれば良いのか分からず、信は困惑して眉根を寄せる。

一切表情を変えないまま、昌平君は唇を動かした。

「男との経験はあるのか?」

処女なのかと問われ、信の頭に鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。

「は…!?そ、そんなの、どうだって良いだろッ」

まさかそんなことを問われるとは思わず、信は動揺のあまり、話を逸らそうとする。
しかし、目の前の男が、意味のない質問などしないことは信もよく分かっていた。

「大王様の伽に呼ばれたことも、他の色事も聞かぬ。もしも、李牧と関係を持っていないとすれば、破瓜を守っているはずだ。身の潔白を示すには丁度良いだろう」

信は唇を戦慄かせたが、声が喉に張り付いて出て来ない。

―――要約すると、この身が処女だと証明出来れば、李牧との密通の疑いを晴らしてやるということだ。

 

取引

その意味を理解した途端、信の思考は停止した。

男との経験がないのは紛れもない事実なのだが、その証明をしろと言われても、一体どうすれば良いのか分からない。

狼狽えている信に、昌平君が手を伸ばす。顎を掴まれて顔を持ち上げられ、無理やり目を覗き込まれた。

「…どうする?示すも逃げるも、お前の自由だ。私はどちらでも構わぬぞ」

「っ…」

信の顔が強張った。

あえて拒絶する選択肢も渡されたのは、昌平君がまだ自分のことを疑っているからに違いない。ここで拒絶するということは、李牧との姦通を認めたことになる。

選択肢を与えておきながら、初めから逃げられないように仕向けているのだと気づき、信は奥歯を噛み締めた。

逃げるつもりなど微塵もないのだが、腹立たしい気持ちになる。

しかし、このまま密通を疑われたままでいる訳にはいかないと、信は強く拳を握った。

「…どうやって、示せば良いんだよ…」

意を決して絞り出した声は情けないほど震えていた。

「着物を脱いで足を広げろ」

「ッ…!」

信の顔が、まるで火が灯ったかのように、真っ赤に染まる。

総司令官である昌平君の前に立つ時、信はいつだって将軍としての立場だった。勝利を喜び合い、酒を交わしたことだって、他愛もない話をすることもあったが、男と女としての性を意識したことは一度もなかった。

そんな彼に一糸まとわぬ姿を見せろというのか。身の潔白を示す行為だと分かってはいるものの、羞恥心が掻き立てられる。

「…出来ぬか」

「……、……」

信が躊躇っていると、昌平君の瞳に嫌悪の色が強まった。

「大王様に密通の疑いがあると伝令を出す」

氷のような冷たさを秘めた声に、信の心臓が跳ね上がる。

嬴政の耳に入るということは、信の密通の疑いはたちまち国中に広まるということだ。自分を信じて待つと言ってくれた河了貂や他の仲間たちの不安を煽ることになる。

いかに自分が違うと否定しても、軍の総司令官が疑っているのだから、親友である嬴政だって素直に信の言葉に耳を傾けてくれるとは限らない。

「ま、待ってくれっ…」

部屋を出て行こうとする昌平君の着物を掴み、縋るように制止した。

着物を掴む手を振り払われることはなかったが、まるで汚いものでも見るかのような蔑んだ眼差しを向けられる。

「李牧と姦通していないことを証明出来ぬのだろう?」

「……っ」

昌平君の着物を掴む手を放せば、きっと彼はすぐに咸陽宮にいる嬴政に伝令を出すに違いない。

破瓜を捧げていないと証明しなければ、密通の疑いを掛けられてしまう。追い詰められた信は、震える手で自分の帯に手を伸ばした。

 

後編はこちら