- ※信の設定が特殊です。
- 女体化・王騎と摎の娘になってます。
- 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
- 桓騎×信/李牧×信/年齢操作あり/年下攻め/執着攻め/秦趙同盟/All rights reserved.
苦手な方は閲覧をお控え下さい。
眠れぬ夜
宮廷に常駐している医師から手当てを受けた信は、喉の腫れと微熱があることを指摘された。
数日は安静にしているようにと薬を処方されたのだが、手当てを受けている間、信はずっと上の空だった。
(…李牧って言ったな、あの男)
あの男のことを考えているのだと、桓騎はすぐに分かった。
陽が沈み始める頃には、信の咳も目立つようになっていて、今日は宮廷の一室に泊まることを決めたらしい。
風邪をうつす訳にはいかないから帰るように言われたが、桓騎はそれを断った。どうせ趙の一行が帰るまで宴は行われるのだ。信の付き添いをしても、嫌な顔をされることはないだろう。
しかし、すでに信の看病を行う侍女が配置されていたので、桓騎は部屋を出ていくしかなかった。
どうやら診察と手当てをした医師が、秦王である嬴政に報告をしたようで、信の看病を行うようにと勅令があったらしい。
信は嬴政と年の離れた親友である。どういった繋がりで元下僕の彼女が秦王と親友という関係に上り詰めたのかは聞いたことがなかったが、地位や名誉に一切の興味を示さない彼女だからこそ信頼されているのだろう。
(しばらくは入れねえな…)
看病が必要になるほど重病ではなさそうだったが、勅令を受けた侍女を無下にする訳にもいかず、信も大人しく看病を受けているのだろう。
戦で重傷を負っても、救護班たちに他の兵たちの手当てを優先するよう指示を出す女だ。さすがに夜通しの看病は信も断るだろう。
看病役の侍女に構わず、無理やり部屋に入り込んでも良かったのだが、そのことを上に報告をされたら厄介なことになる。
自分の身勝手な行動一つで、嬴政が安易に処罰を命じることはない。自分の知将としての才が秦軍にとってどれだけの貢献をもたらしているか、嬴政も知っているからだ。
しかし、もしも嬴政に告げ口をされれば、きっと快調した信から普段以上のお説教を受けることになるのは目に見えていた。
もちろん彼女と二人で過ごせる口実にはなるものの、お説教を受けることこそ、子供扱いが延長される要因だ。
酒を飲み交わすほど大人になったというのに、いつまでも子供扱いされるのは癪に障る。
何としても大人になった自分を認めさせたい気持ちは、桓騎の中で日に日に強く根付いていった。
そして自分たちの前に現れた李牧の存在は、その気持ちに焦燥と不安を抱かせたのである。
陽が沈んでも宴はまだ続いており、広間からは楽しそうな声が響き渡っていた。
あの男、李牧も宴の間にいるだろう。信とどういった関係であるのか、宴の席であの男に直接尋ねても良かったのだが、信に気付かれては面倒だったので、桓騎も宴の席には出なかった。
気に食わず刺し殺してしまう可能性も否定できないし、返答によっては酒に毒を盛ってしまうかもしれない。そうなれば間違いなく秦趙同盟は決裂となるだろう。桓騎もそこまで頭の回らない短慮な男ではない。
互いに同盟関係にある間は、どれだけあの男が気に食わないとしても、自分の都合一つで殺めることは許されないのである。それは自分だけでなく、信も同じだ。
「………」
信の看病に当たっていた侍女が部屋を出て行ったのを柱の陰から見届けた後、桓騎は物音を立てぬよう、部屋の扉を開けて中を覗き込んだ。
(よし、寝てるな)
奥にある天蓋付きの寝台で、信は仰向けで目を瞑っていた。
信は眠りに落ちるまでが早い。幾度も戦に出ているうちに、僅かな時間でも意識を眠りに落とすことが出来るようになったのだそうだ。体を強制的に休ませる手段なのだろう。
しかし、ちょっとした物音や気配には敏感で、すぐに目を覚ましてしまう。それも命が懸かっている戦場で培った才だろう。
まだ桓騎が芙蓉閣で保護されていた頃、足音を忍ばせて、彼女が眠っている布団の中に潜り込んだ時、信は大層驚いていた。
眠っていたとはいえ、こんな傍に来られるまで気づかなかったのは桓騎が初めてだったらしい。
起こさないように気遣ってやったのだから当然だと返すと、信は大笑いしていた。
当時の桓騎はまだ子供だったこともあり、信も無下には出来なかったのだろう、抱き締めながら寝かしつけてくれた。
蒙驁に身柄を引き渡されてからは今まで以上に信に会えなかったし、二人きりで過ごす時間もめっきりなくなってしまった。
「………」
少しだけ、彼女の寝顔を見て安心できればそれで良かった。
大人になったことだし、彼女の寝込みを襲っても構わなかったのだが、今の彼女の気持ちを考えると当然だがそんな気持ちにはなれなかった。
扉の隙間から身体を滑らせて室内に入る。
「…桓騎か?」
目を開いてもいないし、こちらを向いてもいないというのに、信が尋ねて来た。
物音を立てぬように細心の注意を払ったのだが、気配を感じ取られてしまったらしい。すぐに気配を察知したということは、まだ起きていたのだろう。
「ああ」
諦めて返事をすると、ゆっくりと布団の中で寝返りを打って、信はようやくこちらを見た。
「帰れって言ったのに…どうした?なんかあったか」
「別に」
素っ気なく言葉を返すものの、後ろ手に締めた扉に背を預け、部屋から出ようとしない。
その姿を見て、信は小さな咳をした後、困ったように笑んだ。
「…風邪うつっても知らねえぞ」
「バカでも風邪引くんだな」
「じゃあ、お前に移ることはなさそうだな」
生意気な口を叩く桓騎に信が苦笑を深める。普段ならムキになって怒って来るくせに、今日はそんな余裕もないらしい。
出て行けとは言われなかったので、桓騎は寝台に横たわる彼女に近づいた。
蝋燭の明かりは灯っておらず、窓から差し込む月明りだけが部屋を照らしている。そんな薄暗い部屋でも、信の顔が熱で赤く火照っているのが分かった。
診察の最中、僅かに寒気も感じていたことから、医師からこれから熱が上がるかもしれないと言っていた。その見立ては間違っていなかったようだ。
寝台の側にある台には、空になった器と水瓶が置いてあった。就寝前の薬湯は飲んだらしい。
静かに休ませてやるべきだと頭では理解していたのだが、ずっと感じていた疑問が口を衝いた。
「…あの李牧って野郎、お前の何だ?」
寝台の端に腰掛けながら問うと、李牧の名前に反応したのか、信が僅かに顔を強張らせたのが分かった。
嘘を吐けない彼女が無理に嘘を吐こうとする時は、すぐに態度や表情に出る。桓騎はそれを見逃すまいとして、信の顔から視線を逸らさずに返答を待つ。
しばらく押し黙っていた信だったが、桓騎が本気で李牧との関係を知りたがっているのだと察し、諦めたように口を開いた。
「…知り合いだ。昔のな」
静かにそう言った信の視線は、包帯が巻かれている自分の右手に向けられている。
「知り合いっていうような間柄には見えなかった」
間髪入れずに桓騎がそう言って振り返ると、信があからさまに目を泳がせた。
きっと彼女は生まれた時から、人を騙すという才に恵まれなかったのだろう。
確信は得ていないが、信にとって李牧は、ただの知人ではない気がした。
趙の宰相であり軍師を務める李牧は、秦将の信に対して、敵対しているような意識を微塵も見せなかった。
体調を気にしていたことやあの眼差しから、むしろ彼女を慈しむような、大切に想っているような、そんな気持ちさえ感じられたからだ。
「…抱かれたのか?」
「はあッ?」
いきなり大声を出して喉を酷使したからか、信がごほごほと咳き込んだ。
「なにバカなこと言ってんだよ…」
呆れた表情を浮かべながらも、信が言葉を探している。
否定しないどころかその反応を見れば、問いを肯定されたようなものだが、それを指摘することはしない。
二人が恋仲だと一番認めたくなかったのは他でもない桓騎自身だった。
「…昔、助けてやったんだよ。俺がまだ初陣にも出てないガキの頃にな」
しばしの沈黙の後、信が諦めたように白状した。答えない限り、桓騎はずっと引かないと察したのだろう。
自分たちよりも長い付き合いだったのだと知り、桓騎の胸に苛立ちのようなものが込み上げた。
「そうかよ」
素っ気なく返事をすると、桓騎が怒っていることに気が付いたのか、信が不思議そうに目を丸めている。
「なんだよ、怒ってんのか?李牧に何か言われたワケでもないだろ」
「怒ってねえよ」
そう返した声にも怒気が含まれていることに気付いた信は、熱を持つ自分の額に手をやりながら、困ったように桓騎を見た。
桓騎は信に目を合わせることないが、その場から動こうとしない。
「…ほら」
寝台の奥に身を寄せ、信は桓騎が横になれる幅を確保すると、ぽんと敷布を叩いた。
ちらりと目線を向けた桓騎は何も言わずに、すぐに布団の中に潜り込む。二人分の重みに、寝台がぎしりと音を立てて軋んだ。
眠れぬ夜 その二
桓騎が部屋に来た時から予想はしていたが、添い寝をしたかったのだろう。
(いつも素直なら可愛いのにな)
そんなことを言えば怒って部屋を出ていくかもしれないので、信は口を噤んで静かに微笑んだ。
最後に桓騎と添い寝をしたのは、彼がまだ芙蓉閣にいた時だった。
まだ彼が子供だった頃は、よく布団に忍び込んで来るその小さな体を抱き締めながら眠ったものだ。
宮廷の客室に置かれている寝台は、大の大人が二人で寝転んでも窮屈には感じない広さがあったが、信は寝返りを打つふりをして桓騎の傍に身を寄せる。
瞼を閉じていても、隣から桓騎の視線は感じていた。他にもまだ自分に何か聞きたいことがあったのだろう。
「………」
桓騎がどこから来たのか、信は知らない。
咸陽で行き倒れているところを保護したのは信だったが、それまでどこで何をして生きていたのか、今も知らないままだった。
気にならないといえば嘘になる。しかし、桓騎が一向に語ろうとしないことから、話したくないという意志は十分に伝わって来たので、信も尋ねたことはなかった。
成長すればもともと住んでいた地に帰るかもしれないと思っていたのだが、それもしないことから、もしかしたら住んでいた場所が失われたのか、別の理由があって帰れないのかもしれないとも推察していた。
蒙驁将軍のもとに桓騎を預けてから、彼は知将としての才をみるみるうちに芽吹かせていった。
飛信軍に入りたいと熱望していた桓騎だが、将になることを望んでいたのか、それは信にも分からない。
強要する訳にもいかなかったので、桓騎が将の務めを嫌悪しているようならそれとなく退かせてやってほしいと蒙驁将軍に伝えていた。しかし、今でも桓騎は蒙驁将軍の副官を活躍を続けており、知将としての存在も中華全土に広まっていた。
それこそが桓騎の答えだと蒙驁将軍に聞かされた時、信は安堵した。
芙蓉閣で騒動を起こしたり、やたらと自分の傍に居たいという桓騎の意志は昔から伝わっていたが、それは自分を保護者代わりに想っているからなのだと信は疑わなかった。
自分を子供扱いするなと何度も叱られたこともあるのだが、背伸びして大人になろうとしているのも保護者代わりである自分を安心させようとしている桓騎の気持ちの表れなのかもしれない。
未だ夫と子を持たぬ信には、そう考えるのが精一杯だった。
今では話をする時、信が首を上に向けなければならないほど背も伸びたし、元野盗の仲間たちから「お頭」と慕われるほど、桓騎は立派な将になっていた。
自分の腕の中で静かに寝息を立てていたあの頃の姿を思い出し、信は桓騎の成長を認めざるを得なかった。
桓騎はこれからも、秦国を支える立派な知将として中華全土に名を轟かせていくだろう。
(ほんと、大きくなったんだなあ、お前…)
隣にいる桓騎の温もりのせいだろうか、少しずつ意識が微睡んでいく。
(…李牧…)
眠りの世界に溶けかけた意識の中で、不意に李牧の姿が浮かび上がった。
いずれは自分も桓騎も、養父のように李牧の軍略によって討たれてしまうのだろうかという不安が込み上げて来る。
共に過ごしたあの日々が走馬燈のように目まぐるしく瞼の裏を駆け巡ったが、もうあの時の李牧は帰って来ないのだ。
頭では理解しているはずなのに、心はまだその事実を受け入れられなかった。
しかし、微睡んだ意識の中ではその不安を対処することは叶わず、そのまま信の意識は夢の世界へと溶け込んでいった。
隣から信の寝息が聞こえて来たが、桓騎の瞼は少しも重くならないでいた。共に床に就くのは何年ぶりのことだろう。
昔は子供という立場を利用して彼女の腕の中で眠っていたのだが、こうも体格差が開けてしまうと、もうそれも叶わない。
自分も成長したのだと信に知らしめる良い機会だったに違いない。彼女の体調さえ悪くなければ、確実にその体を組み敷いていただろう。
蒙驁のもとで知将としての才を芽吹かせ、着実に武功を挙げていったというにも関わらず、信は少しも態度を変えてくれなかった。
芙蓉閣で共に育った者たちからは黄色い声援を上げられるほど良い男になったというのに、信だけは少しも男として意識をしてくれない。
ずっと昔から口説いているというのに、彼女の中では今も自分は幼い子供のままなのだろうか。
天蓋を見つめながら、桓騎は悶々と考えていた。
「…?」
すぐ隣から荒い息遣いがして、横目で見やると、信が苦しそうに呼吸を繰り返している。
僅かに汗を浮かべている額に手を当てると、明らかに熱が上がっているのが分かった。苦しそうに喘ぐ姿を見て、桓騎は宮廷に常駐している医師を呼ぼうと体を起こす。
「っ…?」
後ろから袖を引っ張られ、驚いて振り返る。熱にうなされながら、信が身を起こして桓騎の着物の袖を掴んでいたのだ。
いつもなら彼女に引き留められたなら喜んで応えるというのに、今は状況が悪かった。
「おい、放せ。医者を呼んで来る」
聞いているのかいないのか、信は桓騎の袖を掴んだまま放さない。その手から体の震えが伝わって来る。熱のせいか、瞳にうっすらと涙が浮かんでいた。
「行、くな…頼む、から…」
そんな表情で引き留められて話を聞かない男はいない。
医師を呼びに行くのを諦めた桓騎を見て、僅かに手の力が緩まる。しかし、着物を放すことはしなかった。
風邪を引くと心細くなるというのは、何となく桓騎にも覚えがあった。
芙蓉閣に保護された時の桓騎は熱を出していた。長い間、雨に当たっていて体が冷え切ったのが原因らしい。
街医師に診察を依頼してくれた信は、その後も頻繁に見舞いに来てくれた。
何をする訳でもない、どこから来たのかを尋ねることもない、ただ傍にいてくれた。熱にうなされていた朧げな記憶だが、信が傍にいてくれたことだけははっきりと覚えていた。
あの雨の中で自分の死を受け入れていたというのに、それを邪魔した信に怒りは感じなかった。
彼女が傍にいてくれた、それだけで桓騎の冷え切った心は溶かされていったのである。
「行くな…」
袖を掴んだまま放そうとせず、信は涙を浮かべた瞳を向けている。今の彼女は、普段の気丈な振る舞いからは想像できないほど弱っているらしい。
そんな信の弱々しい表情を見るのは初めてのことだったので、桓騎は思わず息を飲んだ。
「何処にも行かねえよ」
気づけば、桓騎は両腕を伸ばして彼女の体を抱き締めていた。
熱を持った呼吸を繰り返しながら、信は目を閉じて桓騎の背中に腕を回して、凭れるように身を預けて来る。
ようやく安堵したように、信の表情が解れたのを見て、いつも心の奥底に隠している弱さを、初めて見せてくれたような気がした。
彼女が心を開いてくれたという訳ではない。ずっと心を閉ざしているのかといえばそうでもない。
信は、誰にも弱さを見せないようとしないだけだ。だから、他者が心に踏み込んで来るのを拒むことはしない。
彼女がそういう女だというのは、桓騎も昔からよく知っていた。
「信…」
これほどまでに弱々しい姿を曝け出すのは、熱にうなされているせいと、李牧が現れたせいだろうか。
養父の仇だと分かりながらも、彼を殺せないでいる信を見ると、彼女は李牧に対して特別な感情を向けているのかもしれない。
桓騎の胸は締め付けられるように、切なく痛んだ。
誘惑
「ん…」
胸に顔を埋めていた信が悩ましい声を上げたので、桓騎は彼女の身体を横たえようと肩を掴む。
熱で苦しげな呼吸を繰り返している信は大人しく寝台の上に倒れ込んだ。
未だ信の手が着物を掴んだまま放そうとしないことに、よほど心細さを感じているのだろうかと考える。
共に寝台に横たわり、桓騎は再び信の体を抱き締める。
風邪を引いている者の近くにいると風邪が移るというのは医学に携わらない者でも知っていることだが、約束したように彼女から離れるつもりはなかった。
むしろ彼女が治癒するのなら、自分が苦しい想いをすることになっても構わないと思うほど、桓騎は信のことを愛おしく思っていた。
「はあ…ぁ…」
腕の中で苦しげな呼吸を続けている信を見て、本当に医者を呼ばなくても良いのだろうかと不安に駆られる。
(…人肌で熱を吸ったら、多少は楽になるか?)
桓騎は迷うことなく彼女の着物の帯を解いた。眠っているせいで着物を脱がされていることに信は気づいていないようだが、その方が都合が良かった。
小さなものから致命傷となった深い傷まで、多くの傷が刻まれている肌が露わになり、桓騎は思わず目を見張った。
戦場ではいつも鎧に覆われている肌は、陽に当たらないせいか、静脈と傷痕が浮き上がって見えるほど白かった。
幾度も秦軍を勝利に導いた彼女は、それだけの数の死地を乗り超えて来たと言っても過言ではない。
生死の狭間を彷徨うほどの重傷を負っていたことは桓騎も知っていたし、その度に信が二度と目を覚まさなかったらと不安に襲われたものだ。
初めて目にした信の裸体を見て、桓騎が初めに感じたのは、崇高だった。
確かに桓騎は信を一人の女として意識していたのだが、その傷だらけの肌を目の当たりにして、情欲よりも先に、信の気高さと生き様を感じ取ったのである。
「………」
いつまでも彼女の肌に見惚れている訳にもいかず、桓騎も自らの着物の帯を解いた。
素肌を重ね合うと、信の火照った身体がじんわりと染み渡る。
「ん…」
自分よりも体温の低い肌が心地良いのだろう、眠ったまま信が頭を摺り寄せて来た。
(これは結構、…堪えるな)
下心があってこんな行動を起こした訳ではないのだが、恋い焦がれていた女と布一枚の隔てもなく触れ合っている状況に、桓騎は思わず生唾を飲み込んだ。
子供の頃は彼女が抱き締めてくれる温もりが心地よくて、すぐに眠りに落ちていたのだが今は違う。
生まれたままの彼女の姿を初めて見たのは初めてだし、やはり自分も男だと自覚せざるを得ない。この状況下で理性と戦い続けるのはなかなか堪える。
さっさと眠ってしまえともう一人の自分が呆れ顔で言うのだが、目を閉じても信の温もりを直に感じてしまい、下半身が熱く疼いてしまう。
それどころか彼女の匂いにまで反応してしまうなんて、浅ましい男だと桓騎は自分を罵った。
信はいつもその身に花の香りを纏っている。養父である王騎の趣味らしいが、湯に浸かる時は花を浮かべているのだという。
嗅げばいつも安らいだ気分になるはずその香りが、今だけは禁忌の香りに感じた。
「ぅ…ん…」
桓騎が静かに歯を食い縛りながら、腹の底から沸き上がる情欲に堪えていると、信が小さく呻き声を上げた。
「信?」
名前を呼ぶと、信はゆっくりと瞼を持ち上げて、潤んだ瞳を向けて来た。
眠っている彼女によからぬことを考えていたことを見抜かれた気がして、ばつが悪そうに桓騎は目を逸らしてしまう。
冷静な態度を取り繕ったとしても、下半身は素直だ。この煩悩を吹き飛ばすには、怒鳴られるだけでなく、容赦なく殴られた方が良かったかもしれない。
「ッ…!?」
信の火照った手がそこに伸びたのと同時に、桓騎は驚愕のあまり、目を見開いた。
「………、……」
潤んだ瞳が半目であることから、未だ夢から覚めたばかりで意識が朦朧としているらしい。
ゆっくりと身を起こした信は、着物を脱がせられたことにも気づいていないのか、少しも戸惑う様子を見せない。
それどころか、布団を跳ね除けて四つん這いになると、桓騎の足の間に体を割り込ませたのである。
何をするのかと目を向けていると、彼女のその手が迷うことなく上向いた男根をゆるゆると包み込んで来たので、桓騎は思わず喉を引き攣らせた。
火照った指先が伝うその感触に鳥肌が立つ。
「信ッ…!?」
五本の指で輪を作り、上下に扱き出すその動きは間違いなく男を喜ばせる術だった。
「お、おいッ?」
動揺のあまり裏返った声を掛けたのとほぼ同時に、信は唇から赤い舌を覗かせた。
「ッ…!」
唇で亀頭を挟まれ、滑った感触が染み渡ると、桓騎の背筋が伸び上がる。
恋い焦がれた女が自分の足の間に顔を埋めている光景を、すぐには信じられなかった。
ざらついた舌の表面で亀頭部や裏筋を撫でられる。それだけではなくて、唇で陰茎と亀頭のくびれの部分ときゅっと締められると、勝手に腰が震えてしまうほど気持ちが良い。
与えられる刺激に息を乱すと、その反応を上目遣いで見た信が淫靡な笑みをその顔に刻んだ。
「ッ…」
それは長年、信と共にいた桓騎であっても、初めて見た表情だった。
先ほどのように、自分に行かないでくれと訴えた弱々しい表情も初めて見たのだが、この淫靡な笑みは男を狂わせる。
今まで自分が知らなかっただけで、彼女は自分以外の男と身を重ね合っていたのだろう。そう考えるだけで、桓騎は嫉妬で腸が煮えくり返りそうになった。
「ふ、は…」
敏感な先端に舌を這わせながら、信が右手に巻かれている包帯を邪魔くさそうに解き始める。爪が食い込んだ痕は出血こそしていなかったが、まだ癒えていない。
包帯を解いた右手を使って陰茎を再び扱き始めた。痛みよりも情欲に呑まれてしまったのだろうか。
彼女だって一人の女だ。将軍なんて地位に就いていなければ早々に嫁ぎ、たくさんの子を産んでいたに違いない。
信がすでに自分以外の男の手垢に汚されていることを、本当は気づいていたのに、今までずっと見て見ぬフリをしていたのだ。
他でもない自分が彼女の破瓜を破った男だと、信の記憶に刻まれたかった。
もっと早く彼女と出会っていたのなら、それは叶ったかもしれない。桓騎の中でその想いが絶えることはなかった。
「…クソが」
こちらの気持ちも露知らず、どこの男に仕組まれたかもわからぬ口淫を続ける信に、これ以上ないほどの憤りと切なさを感じてしまう。
「ふ、んん、ぅッ…?」
強引に信の前髪を掴んで、桓騎は咥えていた男根から口を離させた。
「あ…」
肩を押してその身を寝台の上に横たえると、信が薄口を開けて桓騎を見つめていた。
まだ彼女が夢から覚め切っていないことは分かっていたが、誘って来たのは信の方だ。目覚めてしまった雄は、理性一つで押さえ込めるほど安易なものではない。
「っん、…」
敷布の上で指を絡ませ、身を屈めると、桓騎は信と唇を重ね合う。
幾度も頭の中で描いていた彼女との口づけに、桓騎は目を閉じる。信の唇は、想像していた以上に柔らかかった。
交わり
何度か角度を変えて、柔らかい唇の感触を味わっていると、ぬるりとしたものが口内に入り込んできて、桓騎は驚駭した。
薄目を開けたまま、信が舌を伸ばしているのだ。舌を絡めて来た信は先ほどから淫靡な表情を続けており、まるで彼女であって彼女ではない女を相手にしているかのようだった。
眠る前に飲んだ薬湯だろうか、口づけの中には仄かな苦味があった。しかし、互いに舌と唾液を絡めていくうちに、その味さえも甘美なものに感じて来る。
敷布の上で互いに強く結んでいる指に力が込められた。もっとしてほしいと強請っているのだと分かり、桓騎は夢中になって彼女と舌を絡ませていた。
「ん、んふぁ、ぁ、んぅっ…」
口づけを深めていくと、息が苦しくなったのか、鼻奥で唸るような声が上がった。
唇を離すと、信がはあはあと肩で息をし始める。互いの唇を唾液の糸が紡いでいた。激しい口づけのせいか、先ほどよりも潤んで熱の籠もった瞳で見つめられると、もうそれだけで堪らなかった。
「信」
思わず名前を囁いて、再び唇を重ね合う。今度は桓騎の方から舌を伸ばして、彼女の口の中を貪った。
口づけを交わしながら、桓騎は性感帯を探るように、彼女の体に手を這わせた。
胸の膨らみをそっと包み込むと、予想していた以上に豊満だった。
豊満なだけでなく、心地よい柔らかさと弾力を手の平いっぱいに感じて、桓騎も興奮のあまり息を乱してしまう。
「ん、あぁっ…」
首筋に甘く噛みつきながら、胸に指を食い込ませると、信が切なげな声を上げた。
素肌に溶け込んでしまいそうな淡い桃色の芽は、未だ男の味を知らぬ少女の胸にも見える。
口づけを交わしながら、二本の指で胸の芽を挟んだり、指の腹でくすぐったり刺激を続けていくと、信の息がさらに乱れていった。
もどかしげに膝を擦り合わせているの彼女を見て、導かれるように足の間に手を差し込むと、熱気と湿り気を感じた。女が発情している証だった。
「ッあ…!」
蜜で潤んでいる花弁の合わせ目に触れると、信の体が大きく跳ね上がった。
見たことのない信の表情と反応に興奮が止まず、桓騎は上目遣いで彼女の顔を見つめながら、中に指を差し込んでいく。
「ふ、んん…ッ、く…」
痛がる素振りもなく、すんなりと二本の指を飲み込んだ淫華を見て、彼女の破瓜が既に自分以外の男に破られたことを確信した。自分以外にも、彼女の今の顔を見た男がいるのだ。
出来れば認めたくなかった事実に、胸が締め付けられるように痛む。
誰にその純血を捧げたのかと問い質しくなったが、知りたい気持ちとこのまま知らずにいたい気持ちが桓騎の中で鬩ぎ合っていた。
「はあッ、ぁ…ん、んッ」
中に入れた指に、高い熱を持った粘膜と蜜が絡み付いて来た。少しでも指を動かすと、敏感な場所が擦れて気持ち良いのか、悩ましげな声が上がる。
もっとその声が聞きたくて、未だ見たことがない彼女の一面が見たくて、桓騎は堪らず指を抜き差ししたり、鉤状に折り曲げて、中に刺激を与え始めた。
中央にある花芯がつんとそそり立ち、触って欲しそうにその顔を覗かせている。
「ひ、ぅうッ」
反対の手を使って花芯をそっと撫でてやると、信が泣きそうな声を上げた。紛れもなく、女の反応だ。
それは今まで知り得なかった信の一面で、桓騎がずっと頭に描いていた彼女の姿の生き写しでもあった。
花芯と淫華への刺激を続けていくと、信の口からひっきりなしに切なげな声が上がる。飲み込めない唾液が、彼女の唇を妖艶に色付けていた。
「…ぁ、は、早く」
甘い声で促されて、桓騎は苦笑を滲ませる。
余裕がないのはこちらの方だというのに、男の心を搔き乱す言動をするのは無意識なのだろうか。
紛れもなく女の顔で脚を開き、男を受け入れる体勢をとった信に、やはり桓騎は複雑な気持ちを抱いた。
自分以外の誰かがこの淫らな姿を先に目にしたのだと思うと、それだけで顔も名も知らぬ男を殺したくなってしまう。
しかし、その嫉妬を上回るほど、情欲は限界まで膨れ上がっており、もう押さえることは出来なかった。
膝裏を抱えてさらに脚を広げさせ、痛いくらいに硬く張り詰めた男根の先端を宛がう。
「ッ…ん、…」
敷布を掴んで、信が唇を噛み締めたのが分かった。
「信」
名前を呼ぶと、潤んだ瞳がこちらを見上げる。切なげに寄せられた眉が、男根を腹に迎え入れる期待と、不安の色を浮かべていた。
「んんッ…ぅ…」
花弁を捲るように、合わせ目を男根の先端でなぞってやると、それだけで信はうっとりと目が細まる。
まだ先端が淫華に口付けているだけだというのに、蜜に塗れた粘膜が中に導こうと厭らしく蠢いていた。
「んッ…ぁ、ぁああっ」
ゆっくりと腰を前に押し出すと、すぐに温かい粘膜が吸い付いて来る。
男の急所であり象徴でもある敏感な部分が温かく包み込まれる感触は何にも耐えがたいもので、そしてこれが信の体だと思うと、幸福感に鳥肌が立った。
自分を奥へ引き摺り込もうと吸い付いて来る淫華に、今まさにこの身が食われている、と桓騎は優越感を感じた。
このまま骨の髄まで食われてしまいたい。それが地獄の苦しみだとしても、相手が信なら甘受するに違いないと桓騎は思った。
「あああッ」
自らこの身を差し出すように、桓騎が彼女の細腰を掴んで最奥を貫くと、悲鳴に近い声が上がった。
信が背中を弓なりに反らせ、敷布の上で身を捩っていたが、桓騎は腰を掴む手に力を入れて放さない。
「は…ぁ…」
根元まで男根が彼女に食われてしまうと、桓騎は喜悦の息を吐いた。
信が潤んだ瞳で見上げて来る。性器だけじゃなく、唇も重ねようと身を屈めた時だった。
「…李、牧…」
自分じゃない名前を呼ばれ、束の間、桓騎は呼吸を止めていた。
信の想い人
狼狽を顔に滲ませると、信が不思議そうに瞬きを繰り返している。
李牧。回廊で会った趙の軍師の名前だ。聞き間違いであったのならと願ったが、都合よくそんなことは起きなかった。
まさか自分をあの男だと勘違いしているのか。桓騎は束の間、動けなくなってしまった。
呆然としたまま動かないでいる桓騎に、信が不思議そうに首を傾げていた。
「…えっ…?」
それまで潤んだ瞳で男の情欲を煽り続けていた彼女だったが、少しずつその瞳に光を取り戻していく。
「はッ?…えっ、な、なに…?」
誰が見ても動揺しているのが分かるほど顔を強張らせた彼女と目が合った。
「桓騎ッ!?お前、何して…」
ああ、起きたのかと桓騎はぼんやりと考えた。
彼女の布団に入り込むのは初めてではなかったし、信もそれには慣れていたのだが、桓騎が成長してから布団に入り込んで来るのは初めてだったので、あからさまに驚いていた。
お互いに何も身に纏っていないのだから、それにも驚いたに違いない。
「う…」
腹に圧迫感を感じたのだろう、信が桓騎の顔から視線を下げていき、自分たちの性器が繋がっているのを見つける。
途端に青ざめた彼女は、ひゅっ、と息を詰まらせた。
「ば、バカッ、抜けよ!何してんだッ!」
急に大声を出したせいか、むせ込みながらも、敷布を掴んでいた両手が桓騎を押しのけようと突っ張る。
しかし、桓騎は彼女の細腰を掴んでさらにその体を引き寄せた。
「っんうぅッ…!」
敏感になっている中を擦られて、信が強く目を瞑る。
「今さら言われても抜けねえだろ。お前が早く欲しいって言ったくせによ」
自分が襲ったと思われているのなら心外だと桓騎は笑った。
「んなこと、言ってねえよッ…!」
腰を掴む桓騎の手に爪を立てながら、信は身を捩ってなんとか男根を抜こうとしている。
先ほどまで自分が欲しいと強請っていた態度が一変したことに、桓騎は眉根を寄せた。そして、同時に認めたくない仮説が立った。
「…なら、お前が誘ったのは俺じゃなくて、李牧だったってことで良いんだな?」
「ッ…!」
李牧の名前を出すと、信が分かりやすく狼狽えた。
返事をせずとも、それが肯定を意味する態度だと分かると、桓騎の口の中に苦いものが広がっていく。
李牧に抱かれたのかと問うた時、信は否定も肯定もしなかったが、きっとその身を委ねたのだ。
信が李牧に剣を向けなかった理由はきっとそれだろう。桓騎は確信した。
一番答えを知りたくなかったのは自分自身であったはずなのに、自ら答えに辿り着いてしまったことを桓騎は後悔してしまう。
「んなこと、どうでも良いだろ…とっとと抜けって…!」
目を逸らしながら信が訴える。
桓騎の両手が彼女の腰を掴んでいなければ、信は身を捩って男根を引き抜いていただろう。しかし、彼女の言葉とは裏腹に、淫華は抜かないでくれと強く吸い付いて来る。
「桓騎ッ」
早くしろと睨みつけられるが、桓騎は彼女の腰を掴んだまま動かなかった。
いくら信といえども、武器もない今の状況では男の腕を振り解くことは叶わない。
李牧と身を繋げたのが事実だとして、それが信の合意を得られていないものだったなら良かった。だが、きっとそうではないだろう。
慈しむように潤んだ瞳で見上げて、甘い声で李牧の名を呼んだのだ。
今まで桓騎が見たことのなかった女の顔を見せたことが、信が李牧を愛していた何よりの証拠である。
「………」
それまでは信を抱くつもりで昂っていた頭が、急に水を被せられたかのように冷えて来た。
しかし、彼女と繋がっている部分だけは未だに熱が続いている。淫華が吸い付いてくるように、男根もまだ離れたくないと訴えていた。
「早く、抜けって」
睨まれながら促されると、桓騎はゆっくりと腰を引いていく。
素直に従ってくれたことに、信は安堵した表情を見せる。男根が引き抜かれていくにつれ、信の眉根がどんどん切なげに寄せられていった。
「んっ…」
一番太い楔の部分が引っ掛かっているだけになり、信の唇から切なげな吐息が零れる。引き抜かれる刺激に備えて、彼女が腹筋のついた腹にきゅっと力を込めたのが分かった。
「…ッぁああッ!?」
男根を引き抜くと見せかけて、桓騎は思い切り腰を打ち付けた。
まさか裏切られるとは思わなかったのだろう、その顔には驚愕と動揺が浮かんでいた。
しかし、桓騎は構わずに彼女の体を乱暴に突き上げ始める。
「な、なんでっ、バカッ、やめろッ」
切迫した声を掛けられても、桓騎は何も答えなかった。
制止を求める態度とは裏腹に、男根を抽挿すればするほど、淫華の吸い付きが激しくなっていく。
このまま絶頂まで抽挿を続ければ、彼女に全てを飲まれてしまい、ただ性器を交えるだけではなくて、本当の意味で一つになれるのではないかと思った。
「やめろッ、桓騎ッ!放せってッ」
自分はこんなにも、信に骨の髄までこの身を捧げたいと思っているのに、信は大きく首を振って逃れようと身を捩っている。
覆い被さるようにその体を抱き締め、桓騎は寝台から信の体が浮き上がってしまうほど激しく腰を打ち続けた。
初めて会った時は信が自分を抱き上げていたというのに、今自分の腕の中にいる彼女の身体がこんなにも華奢だったなんて知らなかった。ますます愛おしさが込み上げる。
少しも言うことを聞いてくれない桓騎に、信は制止を求める発言を諦めたのか、大口を開けたかと思うと、目の前にある肩に思い切り噛みついた。
「ッ…!」
血が滲むほど強く噛みつかれ、燃え盛っていた桓騎の情欲に歯止めがかかる。
ようやく抽挿を止めてくれた桓騎に、唇を赤い血で染めた信が、切なげに眉を寄せて、まるで祈るような顔を見せた。
心の傷
「なんで、お前が…李牧の名前を出すんだよ…」
秦趙同盟が結ばれた後、あの回廊で桓騎が李牧の姿を見たことは信も知っていた。
しかし、桓騎と李牧の繋がりはたったそれだけであり、彼の口から李牧の名前が出たことに驚きを隠せなかったのである。
「お前に近づく男が、どんな野郎か気になるのは当然だろ」
昔からずっと飛信軍に入りたいと言っていた桓騎が、自分に付き従う者たちのことを知りたがるのは別に珍しいことではない。
だが、李牧との出会いや関係は、信は今まで一度も彼に打ち明けたことがなかった。
趙国の宰相、つまり自分たちにとっては敵対関係にある男だ。秦国に忠義を捧げている信にとって、容易に打ち明けられるものではなかった。
自分と李牧の本当の関係を知っている者と言えば、養父の王騎くらいだったかもしれない。ただし、王騎に直接告げたことは一度もなかった。
養父として、秦の将として、彼は何も言わず自分と李牧の関係を察してくれているようだった。
口を出されなかったのは黙認していたのか、それとも興味がなかったのか、自分たちの関係をそもそも気づいていなかったのか、今となっては確かめようがない。
此度の一件で、まさか李牧自ら咸陽まで赴くとは思わなかったが、事情がどうであれ、桓騎にも黙っておくべきだったのかもしれない。
再会の理由が何であれ、信は李牧のことを忘れていたかった。
可能ならば記憶から抹消してしまいたいほど、李牧の存在は信にとっては禁忌とも呼べるものであった。
李牧こそが、心の傷そのものだと言っても過言ではない。
たとえ桓騎であっても、この傷には触れてほしくなかった。