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フォビア(蒙恬×信←桓騎)番外編②前編

フォビア5
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  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 蒙恬×信/桓騎×信/ヤンデレ/執着攻め/バッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

本編はこちら

 

望まぬ婚姻(蒙恬×信)

このお話は本編の後日編です。

 

蒙恬のもとに嫁ぐことが決まり、信は飛信隊の将の座を降りることとなった。同時に、信が男だと偽って戦に出ていたことも公表されることになる。

もともと信が女であることを知っていたのは、王一族と飛信隊の一部の者たちだけだった。

信が女だったと知って、驚く者がほとんどではあったが、誰もが祝福の言葉を掛けてくれた。

元下僕である彼女が名家の嫡男のもとへ嫁ぐという吉報は、瞬く間に秦国に広まることとなる。

下賤の出である信が王騎の養子となったことも今までに前例がないもので、下僕たちからは羨望の眼差しを向けられていた。

名家の養子となっただけでなく、名家に嫁ぐという、女としてはこの上ない幸せを手に入れたことから、ますます信の名は秦国中に広まったのだった。

誰もが祝福の言葉を贈る中、信だけは自身のことであるにも関わらず、此度の婚姻を喜べずにいた。

自分の名が中華全土に轟くのなら、養父のような大将軍になった時だと信じていたのに、そうではなかった。

天下の大将軍と称えられた養父の背中を追い掛け、自らも大将軍の座に就くことを目指していたというのに、その夢を奪われた。

蒙恬は信を嫁がせるために、自ら王一族に赴いて許可を得たのだという。下賤の出である信が王騎の養子となり、一族に加わることも大いに反対をしていた王家はそれを喜んで受け入れた。

彼女が蒙家の人間となれば、円満に王家から追放することが出来るとして、二つ返事で了承を得たのだと聞かされたのは、王賁と蒙恬の二人から凌辱を受けている時だっただろうか。

事情が何であれ、下賤の出である自分が、正式に名家の伴侶として認められるとは思わなかった。

下賤の出である自分が気に食わない者によって、婚姻の儀を終える前にきっと事故と見せかけて殺されるに違いない。

馬車の事故を装うのか、それとも食事に少量の毒を盛られ続けて病死に見立てられるかもしれない。信はそうなることを疑わなかったし、早く楽になれるのならとそれを待ち望んでいた。

しかし、蒙恬が嫡男の立場で家臣たちを説き伏せたのか、嫁ぎ先で肩身の狭い想いをするどころか、命の危機に晒されることは一つもなかった。

自分の身の周りを世話する侍女たちから嫌がらせを受けることもなかったし、蒙恬の妻として、家臣たちは信に礼儀正しく接してくれた。

王一族にいる間、冷たい視線を向けられたり、嫌がらせを受けることは日常茶飯事だったので、きっとそうなるだろうと予想していたのだが、拍子抜けである。

むしろ冷遇を受けたことを理由にして、自ら首を括っても良かったと思っていたので、信は戸惑った。

きっと蒙恬が自分を妻として扱えと、家臣たちを説き伏せたのだろうが、そこまでして蒙恬が自分に執着しているのだというのも初めて知った。

蒙恬の自分に対する態度は以前に比べて、極端な変化はない。ただし、関係は友人から夫婦へと大きく変化した。

養父という後ろ盾を失って、王賁の名を呼び捨てるのを許されなくなったように、蒙恬の名を呼び捨てることが許されなくなった。

嫁いだ身なのだから、夫を敬うのは当然のことで、屋敷で夫の帰りを待つことが妻の務めである。それは蒙恬自身に言われたことで、戦から自分を引き離す口実だとすぐに分かった。

名前を呼ぶにも敬称をつけなくてはならず、信は嫌でも蒙恬と婚姻関係で結ばれたことを認めるしかない。

そして、彼の妻として生きるしかないと認めるしかなくなる。

友人だった男と、褥の上で何度も肌を交えるあの時間ほど、苦痛なものはなかった。

 

兆し

体調が優れないという信に、医師の診察を依頼したのは蒙恬だった。

ここのところ、倦怠感が強く、食欲もない。大将軍になる夢を断たれ、養父の仇を自らが討つことも叶わなくなったせいで、気落ちしていることが原因であると信は疑わなかった。

違う理由だとしたら一つだけ心当たりがあったが、なるべく考えないようにするしかなかった。

診察は不要だと何度も蒙恬に断っていたのだが、寝台に横たわっている信のもとに、蒙恬が老医を連れてやって来た。

彼は昔から蒙家に仕えている医師だそうで、蒙恬も幼少期から世話になっているのだという。

いつから症状があるのか、食事は摂れているのか、簡単な問診が続いた。

険しい表情を浮かべ、老医が信の手首の脈を調べる。しばらく無言で触脈をしていた老医が納得したように頷いたので、信は何かの病なのだろうかと考えた。

このまま病魔に蝕まれて、何も分からないまま死んでしまえば良いのにと思っていると、老医は床に座り直し、蒙恬に深々と頭を下げたのだった。

「誠におめでとうございます」

懐妊しているという老医の診断を聞いて、信の目の前はその一瞬だけ、確かに真っ白になった。

「…え?今、何て…」

信の懐妊をすぐに信じられなかったのは、蒙恬も同じだった。
懐妊の話を裏付けるように、老医が妊婦の特徴である滑脈かつみゃくが現れていると話す。

他にも、先ほどの問診で聞いた最近の信の症状は、初期の妊娠によく見られる症状だと言われた。

話を聞いた蒙恬が、みるみるうちに喜悦の表情へとすり替わっていく。

「そっか…そっかぁ」

顔を綻ばせた蒙恬が寝台に横たわったままでいる信に駆け寄り、愛しげにその頬を撫でた。

老医はもう一度頭を下げて、そっと部屋を出ていく。信の身の回りの世話をする侍女たちへ、体調を気遣うことや、食事内容についての説明を行っているのが微かに遠くで聞こえた。

歓喜の声が遠くで聞こえる一方で、信だけは呆然と顔から表情を失っている。

(そんな…)

孕んでしまった事実を第三者から告げられたことで、信の瞳に涙が滲んでいく。

もう婚姻を結ばれてしまった時点で、蒙恬から逃げることは出来ないのだと思っていたが、孕んでしまったというその事実は、信の足にさらなる重い足枷となって巻き付いた。

彼に抱かれ、腹に子種を植え付けられる度に感じていた不安と恐れが現実となってしまった。

「信」

目尻を伝う涙を指で拭ってやり、それから蒙恬は信のまだ膨らんでいない腹を撫でると、うっとりと目を細めた。

「…俺と王賁のどっちの子・・・・・だろうね?」

耳元で囁かれた言葉に、信は思わず息を飲んだ。

この腹に実ったのは、王賁と蒙恬のどちらの子種なのか、そんなことは分からない。

王賁の子であったとしても、蒙恬は信と自分の子として育てるのだと話していたのは、二人から凌辱を受けたあの日だっただろうか。

もう思い出したくもなかった。もう何も考えたくなかった。

 

 

信が蒙家に嫁いでから懐妊したという吉報は、まるで流行り病のように短期間で秦国に広まった。

家臣たちから祝福の言葉を掛けられても、信の表情は暗く、上手く笑みを繕うことも出来ない。

以前よりも身の回りの世話をする侍女たちが傍にいる時間が増えていき、必然的に一人でいる時間も少なくなっていた。

信が暗い表情を浮かべているのは、まだ妊娠初期で体調が優れないのだと都合の良いように解釈され、きっとこの屋敷にいる限り、自分が何を訴えても、蒙恬の手中からは逃れられないのだと信は諦めていた。

体を拘束されているわけではないのだが、屋敷の中で過ごす日々も、腹に眠る新しい命が重い足枷となって信の心を苦しめている。

(もう全部忘れて楽になりたい)

苦痛から解放されたいという気持ちから、信は蒙恬から見放される方法についてを考えるようになっていた。

自分はどこで道を違えてしまったのだろう。馬陽で王騎を救うことが出来なかったことか、それとも後ろ盾を失くしてから王賁に玩具のように扱われたことか。

桓騎軍の兵たちを殺め、罪を蒙恬に隠蔽してもらうよう取引に応じたことか。
今さらそんなことを悔いても過去には戻れないし、この苦痛から解放される訳でもないと頭では理解していた。

そしてこのまま後悔と猛省を続けたところで、救われることもないし、腹の子の成長も止められない。

(…今なら、まだ…)

まだ腹が目立たぬ今の時期なら、堕胎薬を服用することも可能なはずだ。

このまま子が成長していき、産み落とすしかなくなれば、きっと心が壊れてしまう。そうなる前に、事を起こさねばならない。

堕胎薬を望んだところで持って来てくれるような者はいない。だからこそ信は自ら堕胎薬を探しに行くことを決意した。

蒙家の身内であることは内密にして、十分過ぎるほどの大金を渡せば、その辺の街医者なら喜んで作ってくれるだろう。

素性を気づかれれば、門前払いをされるのは目に見えている。名家である蒙家の世継ぎを殺す手助けをしたと報復を恐れるのは当然のことだ。

堕胎薬を服用しようとした自分だけが処罰を受けるならと思ったが、蒙恬は決してそんなことはさせないだろう。

高狼城の時のことも考えると、彼は情報操作に長けている。きっと堕胎薬を製薬した医者にだけ罪を擦り付けて、余計なことを言う前に口を封じるに違いない。

そして自分が堕胎しようとしていることを蒙恬に気づかれれば、間違いなく軟禁されると断言出来た。

もしかしたら何処にも行けぬように、寝台に縛り付けられて幽閉されてしまうかもしれない。

それだけ蒙恬が自分に執着していることを信は自覚していた。このまま子を産めば、より執着されてしまうことも予想出来た。

だからこそ、今のうちに事を起こさねばならない。

蒙家の子孫であり、我が子を殺した罪で処刑される。
それこそが、自分が楽になれる方法であると、彼女は信じて疑わなかったのである。

心が壊れてしまう前に、何としてでもその策を成し遂げようと信は決意した。

 

禁忌

堕胎薬を入手しようとしていることを、誰にも気付かれる訳にはいかなかった。

製薬が出来ないのは医学に関しての知識がないためだ。だからこそ、堕胎薬を製薬をする者と接触する必要があった。

信の懐妊を報告した老医は、古くから蒙家に仕えている男である。信が堕胎を企てていることを知れば、すぐに蒙恬に告げるだろう。だとすれば、やはり街医者を頼るしかない。

堕胎薬の製薬を断られたとしても、せめて妊婦が避けなくてはならない食物や茶など、堕胎の可能性があるものを知ることが出来ればと考えていた。

王騎に引き取られてからは鍛錬続きだったし、戦に出る日々が続いていた。幼い頃から妊婦と関わる機会が一切なかった信には、医学の知識どころか、妊婦なら当たり前に知っていることも、何も知らないのである。

将として生きるつもりだった自分には必要ないと思っていた類の知識ではあるが、自分の無知をこれほど憎んだことはなかった。

出産経験のある侍女たちから妊娠中に控えていたものを聞く方法も考えたが、この屋敷に来てからというもの、侍女と会話内容すらも蒙恬は把握していた。信が覚えていないような何気ない会話でさえもだ。恐らく逐一報告しているのだろう。

会話の糸口から堕胎を企てていると勘付かれれば、蒙恬はすぐに行動を起こすに違いない。

堕胎を未然に塞がれてしまえば、信は子殺しの罪で命を絶たれることが出来なくなってしまう。

もしかしたら既に信が堕胎を企てていることを予見しているのかもしれなかった。

それを裏付けるように、信一人だけで屋敷を出ることは叶わない。敷地内ならともかく、屋敷を出るためには蒙恬の許可が必要である。

表向きはもちろん身重の体に負荷を掛けないためだとしていたが、自分が傍にいない間も配下たちに監視させているとしか思えない。

すでに悪阻も始まっていて、信は部屋で休む時に限って一人の時間を確保出来た。

妊娠が分かってからは蒙恬と身体を重ねることはなくなり、今まで以上に身体を気遣われるようになった。

廊下にはすぐに呼び出しに応じられるよう侍女が常に待機していたので、物音を立てぬように行動をしなくてはならなかった。

「………」

何度も背後を振り返りながら、信はそっと窓辺に近づいた。

これまでも侍女たちの目を盗んで、腕の筋力が衰えぬ前に窓枠を外していたので、あとは窓から屋敷を出て、町へ向かうだけだった。

部屋の窓枠を外したことを知っているのは他にいないし、まさか窓から逃げ出すとは侍女たちも考えていないだろう。

悪阻で体調が優れないのは事実だが、ずっと部屋で休んでいると錯覚されている今こそが絶好の機会だ。

とはいえ、信が部屋に居ないと気づいた侍女たちが大騒ぎをするのは目に見えている。

少しでも時間を稼ぐために、寝具の中に着物を敷き詰めて、一見、寝台の上で眠っているように見立てた。一度くらいは錯覚してくれるだろうが、いつまでもそれで誤魔化せるとは思わない。

屋敷が騒ぎになれば、すぐに蒙恬に報告されるだろう。猶予はない。

街医者でなくても、蒙家とは一切関わりのない出産経験のある女性でも構わない。なにか堕胎の助言を得られればそれで良かった。

「っ…」

背後の扉を気にしながら、静かに窓枠を外すと、信は外に出るために足を掛けた。
体を半分ほど窓から乗り出した時、

「窓から外出するなんて、危ないなあ」

すぐ隣から聞きたくもない声がして、信の心臓はその一瞬、確かに止まった。

 

 

窓から片足を出した状態で、信は動けなくなってしまう。

地面はすぐそこにあるはずなのに、足裏をつけずに、信は怯えた瞳を動かす。

壁に背中を預けた蒙恬が木簡に目を通している姿がそこにあった。宮廷に行くから数日は帰って来ないと話していたはずなのに。

どうしてここにいるのだと問うよりも先に、信は震え上がって言葉が出なくなってしまった。

読んでいた木簡を畳んだ蒙恬は、窓に片足をかけた状態で動けずにいる信に冷たい眼差しを向ける。

「夫婦らしくさ、二人で話をしようか」

顔から血の気を引かせている信に、蒙恬はこれ以上ないほど優しい口調で話しかけた。

人の良さそうな笑みを刻んでいるその顔とは裏腹に、瞳の奥には逃亡に対する怒りが浮かび上がっている。

「……、……」

嫌な汗が滲み、信は思わず固唾を飲み込んだ。
蒙恬は信の返事を聞かずに木簡を抱えると、彼女の前に立ちはだかるように正面に立った。

「っ…」

弾かれたように信は窓から足を引っ込ませて、室内で後退る。情けないくらいに膝が笑っていた。

「よ、っと」

軽々と窓から飛び込んで来た蒙恬は優雅な足取りで室内を歩き、それから椅子に腰を下ろす。

「おいで、信。話をしよう?」

向かいの席を指さされ、信は震えながらその命令に従った。従うしかなかった。

腰を下ろしてからも蒙恬からの視線は痛いほどに感じていたが、目を合わせることが出来ず、俯いてしまう。

心臓が激しく脈打つ度に、こめかみをきつく締め上げられる痛みで喘ぐような呼吸を繰り返す。

先ほどまで目を通していた木簡を机の上に広げ、蒙恬はある一文を指さした。

「信にはまだ伝えてなかったんだけど、飛信隊は今後、楽華軍の管轄下に置かれることになったんだ」

「…え?」

予想もしていなかったその言葉に、信は思わず聞き返した。
広げている木簡の内容に目を通すと、右丞相であり、軍の総司令を務めている昌平君の名が記されていることに気がついた。

飛信隊が楽華軍の下につく旨が記されている。それは信が婚姻のために、隊長の座を降りたことが原因のようだった。

なぜ他にも軍がある中で、楽華軍の下につくことになったのか。信は青ざめながら木簡に目を通すことしか出来ない。

「この意味、分かる?」

にこりと微笑んだ蒙恬に、信は嫌な予感を覚えた。恐らく蒙恬が手回しをして飛信隊を楽華軍の下につけたのだろう。

同士討ちの件の隠蔽から、相変わらず飛信隊が人質に取られている状況は変わりないのだと思い知らされる。

元は妻が率いていた隊なのだから、普段の様子を伝えるためにも楽華軍の管轄におきたいと昌平君に伝えたのかもしれない。

軍の総司令であり、右丞相という中立な立場にある昌平君とはいえ、教え子からの頼みに反論する理由はなかったのだろう。

ましてや、信と蒙恬の婚姻は、相思相愛によるものだと秦国中の誰もが疑っていないのだから。

 

人質

「…っ、ぁ……」

何か言いたそうにしている彼女を見下ろしながら、蒙恬の口元からは笑みが絶えなかった。

彼女が何を話そうとしているのかを聞くつもりはないらしい。わざわざ言わせなくても、もう分かっているからだ。

「飛信隊は強いから、戦を動かす上では利用価値がある。とても助かるよ。…だから、多少の無理・・・・・をしてもらっても良いかなって思ってるんだ」

「無理って…何を…」

「うーん、そうだなあ」

顎に手をやり、蒙恬はわざとらしく何か考える素振りを見せる。

「たとえば、伏兵の奇襲が起きそうな場所に、積極的に進んでもらうのも助かるかも。…もちろん信が育てた飛信隊なんだから、伏兵があることはすぐに見抜けるはずだし、俺からの助言は不要・・だろ?」

背筋を冷や汗が伝うのが分かった。

戦を利用して飛信隊の全滅を図ろうとしている蒙恬の意図に気付き、信の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出た。

婚姻を結んだことで、同士討ちの件の脅迫が使えなくなったからだろうか。過去の同士討ちの件が明るみに出れば、飛信軍の兵たちだけでなく、信までもが処罰の対象になってしまう。しかし、妻の処罰は蒙恬も望んでいないのだろう。

だからといって、秘密裏で飛信軍だけを壊滅させるようなその手段は、あまりにも残酷だった。

「や、やめ…ろ」

「信が育てた自慢の隊だろ?そんな簡単に全滅するはずがない。俺は信じてるよ」

飛信隊の強さを信頼していると蒙恬は言う。心にもないことを言っていると、信はすぐに分かった。
部屋の外で誰が聞いていても怪しまれぬように、心優しい嫡男を演じているのかもしれない。

伏兵に襲われたとして、切り抜けられないような弱い隊ではないが、それでも被害は免れないだろう。

有力な軍師や副官たちだって、伏兵を事前に見抜くことは出来るに違いないが、それでも全てに対応できるかと言われればそうではない。

蒙恬が助言をしないと言ったことに、誰にも疑われない・・・・・・・・飛信軍の壊滅方法が既に彼の頭の中で成されているのだと気づいた。

「ふ、っ…ぅう、…ぇ…」

何の感情かもわからない涙が溢れ、嗚咽が零れる。
懸命に首を横に振ってやめてくれと訴えるが、蒙恬の冷たい瞳が色を変えることはない。

「ねえ、信」

ゆっくりと蒙恬が立ち上がって、信の前にやって来る。
彼の指が信の喉をそっと撫でたので、もしかしたらこのまま首を締められるのだろうかと体を硬直させた。

いっそこのまま何もかも見捨てて、彼に殺されれば、楽になれるかもしれない。それは諦めにも似た感情だった。

静かに目を閉じて、首を締められる苦しみに身構えていると、蒙恬は額に唇を押し当てて来た。それはこれ以上ないほど優しい口づけだったが、まだ許しはもらえていない。

蒙恬が身を屈めて来て、再びその端正な顔が近付いて来る。彼の艶のある茶髪が落ちて来て、頬をくすぐった。

「まだ将としての未練があるの?」

浮かべているその笑顔とは裏腹に、恐ろしいほど冷え切った声でそう囁かれ、信はひゅ、と息を詰まらせた。

ゆっくりと彼の右手が信の左腕を掴んだかと思うと、じわじわと力を込めていく。まさか腕を腕を折るつもりか。

戦で骨折の経験は何度かあった。落馬した時に肋骨にひびが入る程度のものから、関節が一つ増えたものまで。どちらにせよ、痛みは酷いものだった。

きっと骨折自体は事故に見せかけるだろうが、それを理由に、今まで以上に従者たちに世話という名目で監視をさせるだろう。

堕胎薬を手に入れるどころか、部屋から出ることも叶わなくなってしまう。

「ま、待て、待ってくれ…!」

情けなく声を震わせながら説得を試みる。信の左腕を掴んだまま、蒙恬は肩を竦めるようにして笑んだ。

「話ならもう済んだでしょ?他に何か話すことなんてある?」

もうこちらの意志など一切関係ないのだと突き放されたようで、信の唇から掠れた空気が洩れる。

「も、蒙恬、さ、まっ…!」

敬称を付けて、祈るように名前を叫んでも、左腕を握る手に力が緩まることはなかった。このまま腕を折る気に違いない。
嫌な汗を浮かべながら、強く目を閉じて激痛に構えていると、

「…なーんて、びっくりした?」

急に手を放されて、あまりにも無邪気な笑みを向けられたので、信は呆気にとられた。どうしてこんな状況でも笑っていられるのだろう。

しかし、腕を折られなかったことに安堵していると、途端に蒙恬の顔から表情が消える。

「っ…」

嫌な予感がして、信は狼狽えた。
何も言わずに、蒙恬は椅子に座ったままでいる信の前に片膝をつくと、今後は左の足首をそっと撫ぜる。

「心配しないでいいよ。こっちにするから」

 

 

耳を塞ぎたくなるような嫌な音がするのと同時に左足に走った痛みに、信は束の間呼吸をすることを忘れていた。

「うう…ぅ、ぐ…!」

痛みのせいでどっと汗が毛穴から吹き出し、思い出したように肩で息をする。

蒙恬が掴んだ左足は変な方向を向いてはいなかったが、足首の関節が腫れ上がっていくのがすぐに分かった。

しかし、目を剥くほどの激痛ではなかったことから、折れてはいないらしい。
それでも痛みは酷いもので、みるみるうちに足首が腫れ上がっていく。骨を折るまでに至らず、捻挫で留めたのは蒙恬の慈悲なのかもしれない。

「あーあ、痛そうだね」

自分でやったくせに、蒙恬は他人事のように共感を呟いた。

履いていた靴を脱がされ、腫れ上がった左足をまじまじと見つめている。太くなった足首に、足枷でも巻いたつもりでいるのだろうか。

そっと頬を撫でられて、信は怯えた瞳で蒙恬を見上げる。

「ひ…」

蜘蛛の糸のように、ねっとりと視線を絡められ、恐ろしさに総毛が立った。

「信はいい子だから、もう俺に、これ以上はさせないよね?」

確認するように小首を傾げられて、信は黙って頷くしかなかった。こんなふうに脅迫まがいの約束をさせられることは初めてではなかったが、何度されても気分は良くない。

「良かった。今手当てをさせるから、そこで待ってて」

望み通りの返事に満足したのか、蒙恬が顔を綻ばせる。
安堵の表情で蒙恬が部屋を出て行った後、信は嫌な汗を滲ませたまま、ゆっくりと立ち上がった。

「う…」

自分の体重が掛かると、左足が軋むように痛む。
しかし、先ほど捻られた時に感じた一番強い痛みは過ぎ去っていた。むしろ痛みが麻痺し始めたのか、どんどん感覚が鈍くなってきているようだった。

先ほど蒙恬によって脱がされた靴を手に取った。腫れ上がった関節のせいで靴に足を収めることは叶わず、踵を踏む。

着せられている着物もそうだが、金色の糸で美しい刺繍が施された青色の靴はとても価値の高いものだ。もしかしたら二度と将には戻らせないことを比喩して、自分にいつも高価なものを着飾らせていたのかもしれない。

「………」

中途半端に靴を履いた左足を引き摺るようにしながら、信はしきりに背後を気にしながら窓辺に近づいた。

外した窓枠はまだそのままになっており、信は今しかないと再び窓枠に足を掛ける。

「っ…」

瞼の裏に、仲間たちの姿が浮かんだ。

もしも自分がこのまま屋敷から逃げ出せば、蒙恬は飛信隊を壊滅させる策を実行に移すかもしれない。

しかし、蒙恬が考えているそれは、戦でしか出来ない策・・・・・・・・・である。

まだ戦が始まっていない今なら、堕胎の罪で自分だけが首を落とされるはずだ。
蒙恬が執着しているのは自分だけであって、この命が失われれば、飛信隊に人質の価値はなくなる。

今はもう隊長の座に就いていないものの、彼らを救い出すためにはこの方法しかなかった。

(…今しかない)

信は自分を奮い立たせ、窓から屋敷を抜け出した。

 

裏切り

屋敷に常駐している老医に、妻が不注意で転倒して足を捻らせた事情を伝えると、処置に必要なものを用意したらすぐに向かうと言ってくれた。

先に信のいる部屋に戻ると、蒙恬は思わず目を見開いた。

「…信?」

そこに信の姿はなく、蒙恬はまさかと室内を見渡す。
先ほど脱がせたはずの靴が無くなっていることに気付くまで、そう時間は掛からなかった。

外された窓枠もそのままになっている。職人を呼んで修繕をするまで、信の身柄は別の部屋に移すつもりだったが、まさかまだ逃亡を諦めていなかったのか。

つい先ほど約束を交わしたばかりだというのに、まさかこんな短時間で裏切られるとは思いもしなかった。

わざとらしく重い溜息を吐くと、追い掛ける素振りは見せず、椅子に腰を下ろす。

「…やっぱり一回くらい、痛い目を見ておかないと、動物って覚えないんだよね」

頬杖をつきながら、蒙恬が小さく呟いた。

妻の脱走に蒙恬が慌てる素振りを見せないのは、彼女がこの屋敷に戻って来るのは必然・・だと分かっているからだ。

「蒙恬様。奥様は…」

薬箱を背に抱えて部屋にやって来た老医に、蒙恬は人の良さそうな笑みを浮かべた。

「足の手当ては後でいいや。…それよりさ、お腹の子には影響しない、気持ちが落ち着くような薬湯を用意しておいてくれる?きっと必要になるから」

信の脱走に関しては一言も告げなかったが、長年蒙家に仕えている老医はすぐに頭を下げて、指示通りの薬湯の準備に取り掛かった。

 

 

蒙恬によって捻られた左足が、鈍く痛み始めた。熱を伴っている足首の腫れを見れば、安静にすべきだと医学の知識のない信でさえ分かる。

それでも酷使して進み続けるのは、れっきとした目的があるからだ。

「………」

屋敷の敷地を出るまでに、見張りの兵や世話係の侍女たちに捕まるのではないかと不安があり、何度も背後を確認した。

部屋に戻って来た蒙恬は、自分が窓から逃亡したことにすぐ気付くだろう。

窓から出たところはちょうど屋敷の裏庭に面している。信は身を屈めながら、庭に植えられている木々で身を隠し、手探りで敷地を抜け出した。

窓枠を外そうと試みる度に、裏庭から敷地を抜け出す経路についても確認を行っていたのである。

ただし、屋敷の敷地を抜けてからその先のことは何も知らないので、賭けだと言ってもいい。

もしかしたら、すぐにでも蒙恬の指示で、従者たちが追い掛けて来るのではないかと言う不安もあり、信の心臓は常に激しく脈を打っていた。

堕胎薬を入手出来なければ、決して誰の邪魔の入らない場所で、帯を使って首を括ることも考えていた。

屋敷で首を括ったところで様子を見に来た侍女がすぐに制止するだろうし、常駐している老医が適切な処置を行うだろう。だからこそ、誰の目のつかぬ場所で行う必要があった。

(もう、戻れない…)

敷地を抜けてしばらく歩き続けているうちに、息が上がっていた。

しかし道を進むにつれて、建物や人々の姿が見えて、街が近づいて来ていることが分かる。

談笑が聞こえ、街の日常がすぐそこにあるのだと思うと、それだけで信はほっと胸を撫でおろした。

大勢の人がいる中に紛れ込めば、蒙恬も容易くは追って来れないだろう。しかし、堕胎薬を手に入れることが出来るまでは決して油断は出来ない。

婚姻を結んだ後に屋敷へ連れて行かれたが、馬車の中から横目で見ていたくらいで、街に降りて来たのは初めてのことだった。

「う…」

疲労のせいか、歩幅が次第に小さくなっていく。左足の痛みがさらに増してきて、信はその場に座り込んでしまいそうになった。

蒙恬と婚姻を結んでから、屋敷の室内で過ごす日々が続いていたせいで、筋力も体力も衰えていたのだ。

しかし、ここで立ち止まる訳にはいかなかった。
気力だけで体を奮い立たせ、信は必死に前へと進んでいく。少しずつ陽が傾いて来ていることに気付き、急がねばならないと体に鞭打った。

陽が沈めば人々も家に戻るし、医者を探すことは困難になるだろう。

街医者が住まう屋敷は、他の屋敷とはさほど区別がつかない。
しかし、医師という存在は重宝されていることから、街では誰もが知っている。話を聞けばすぐに教えてくれるだろうと信は思っていた。

もしかしたら薬草を摘みに行ったり、患者のもとに往診をして留守にしているかもしれないが、何としてでも今日中には、いや、今すぐにでも医師と会わなくてはと思っていた。

左脚を引き摺るようにしながら歩き続けていくと、人々から好奇の視線を向けられていることに気付いた。

上質な着物を着ている割には、まるで作法など知らぬといった歩き方、左脚を引き摺っていることから、怪我をしているのは誰が見ても分かることだろうが、血走った瞳でいる信を怪しむ者が多いのは当然のことである。

屋敷から一番近いこの街は、きっと蒙家の息が掛かっているに違いない。

役人に報知されぬことを祈りながら、信は街医者の屋敷の場所を問おうと彼らに近づいた。

「ッ…!」

何処からか馬の蹄の音が近づいて来るのが聞こえて、信はぎくりと体を強張らせる。反射的に辺りを見渡して音の位置を探った。

まさかもう蒙恬が追い掛けて来たのだろうかと背筋が凍り付く。

身を隠さねばと思った途端、すれ違っていた人々がまるで自分を遠ざけるように走り出したので、信は焦燥感を覚える。

「…、……」

頭から影に覆われ、もうすぐ後ろにいることを悟る。足元に馬上の人物の影の輪郭が浮かび上がった。

固唾を飲み込み、蒙恬でないことを祈りながら振り返る。

紫紺の着物に身を包み、耳に幾つもの装身具をつけた骨格の良い男が馬上からこちらを見下ろしていた。

目が合うと、信は戸惑って眉根を寄せる。その反応を楽しむかのように、馬上の男は高らかに笑った。

「元下僕じゃねえか。蒙家に嫁入りしたって聞いてたが…良いご身分だなァ?」

蒙恬ではなかったが、かといって安心出来る存在でもないし、可能なら会いたくなかった男である。

「桓騎…将軍…」

信は顔を引きつらせた。

 

取引

どうして桓騎がこんなところにいるのだろう。

武装をしていないことから、私用で街に訪れたのは安易に想像がつくが、まさかこんなところで再会することになるとは思いもしなかった。

彼が仕えていた蒙驁は山陽の戦いの後に没している。秦王にも国にも忠誠など誓わずに好き放題している野盗の性分が抜け切っていない男が、こんな街に来ることがあるのか。

「………」

捻挫した左足を引き摺るようにして、信は後退った。
桓騎と蒙恬が繋がっているとは思えないのだが、彼がここに来たのが偶然とは思えず、信は警戒する。

自分が蒙恬と関係を深めるきっかけとなった桓騎軍の兵と娼婦を虐殺したことを、桓騎は今も興味を持っていないようだったし、これだけの月日を置いてから今になって報復しに来たとも思えない。

桓騎と信は下賤の出であるという共通点がある。
そのせいか、何度か桓騎軍の下についていたこともあり、その度にちょっかいを掛けられたのだが、好きになれない男だった。

捨て駒同然に兵を扱い、奇策を成すその知略の才は、他に替えのないものではある。

しかし、味方にも策を告げることをしない彼の態度は、まるで誰も信用していないのだと言っているようで、信は桓騎の考えが読めず、掴みどころのない男だと思っていた。

そんな彼を副官として携えていたのは蒙恬の祖父である蒙驁だ。
秦国にも秦王にも忠誠を誓わない彼を唯一従えていたのは、後にも先にも蒙驁だけであり、かといって蒙一族を敬うことはしない。

だから蒙恬との繋がりはないと思っていたのだが、今に限ってはこの状況のせいか、嫌な予感がする。

「!」

馬から降りた桓騎が大股で近づいて来たので、信はやはり自分と接触するためにここへやって来たのだと確信した。

「ぐッ…!」

無様だとは分かりつつも、背中を向けて逃げようとした瞬間、後ろから腕で抱き込まれるようにして喉を締められた。

初めて桓騎に会った時も、こうして後ろから腕を回されたことを思い出す。あの時は全身の総毛が立ち、咄嗟に剣を向けてしまった。それだけ強い拒絶反応が起きたのは、今まで出会って来た中でもこの男が初めてだった。

がっしりとした腕のはずなのに、まるで蜘蛛の糸が何重にも絡まって首を少しずつ圧迫されていくような、あのおぞましい感覚は慣れることはない。

その拒絶ぶりが気に障ることなく、むしろ彼の好奇心を刺激したのか、会う度にこうして抱き寄せるように腕を回されていた。

「久しぶりに会ったっていうのに、随分と他人行儀じゃねえか」

逃げようとした自分を咎めるようにして、桓騎が目を細める。

その瞳に浮かんでいるのは怒りでもなく、ただの愉悦だ。こちらは視界にも入れたくないというのに、とことん桓騎は相手に嫌がらせをすることが好む性格らしい。

「ぐッ」

腫れ上がった左足を思い切り踏みつけられてしまい、飛び上がるような激痛に目を剥く。

関節が腫れていたせいで、靴を中途半端に履いていたおり、馬上からでも足の異変に気付かれたのだろう。

声を掛けられたのは背後からだったし、左足を引き摺っているのも観察されていたのかもしれない。少しも興味のない態度を取るものの、桓騎の観察力はいつだって鋭い。

「ッ……」

痛みのせいで冷や汗を浮かべながら、信は大人しく縮こまった。

未だ左足は踏みつけられたままである。少しでも逃げる素振りを見せれば、容赦なく体重を掛けられるだろう。

「…何の用だよ」

怯えていることは悟られないように、冷静を装って信は生意気に問いかけた。

口角をつり上げた桓騎は、まるで信がそれを問うのを分かっていたかのように、懐から何かを取り出す。薬包紙だった。

中に入っている薬が何なのかは教えられなかったが、全て知っていると言わんばかりの鋭い眼差しを向けられ、固唾を飲み込む。

それが堕胎薬だと、信は瞬時に察したのだった。

 

 

「ッ…!」

薬包紙を掴もうとした途端、それを手の届かない頭上に持ち上げられる。

思わず睨みつけると、桓騎が楽しそうに目を細めていた。取引を持ち掛けるようとしているらしい。

(どうする…)

自分が蒙恬から逃げて堕胎薬を求めていることも、きっと彼は知っているのだろう。
ここで取引を断れば、桓騎は蒙恬のもとへ信がしようとしていることを告げにいくかもしれない。

屋敷を抜け出したことは恐らくもう蒙恬には気付かれているし、彼が従者に指示を出しているのだとしたら、ここで時間を食う訳にはいかなかった。

追手が迫っているかもしれないし、このまま堕胎薬を手に入れられずに屋敷へ連れ戻されたら、二度と陽の目を浴びることが出来ないかもしれない。

逃げようとした自分を咎めるように、蒙恬は躊躇なく左足を捻り上げた。今度は二度と外に出ないようにと足を切り落とされるかもしれない。悪さをしたと責められ、腕を折られるかもしれない。

家臣たちをいつものように上手く言い包め、世話という名目で見張りを強化するだろう。蒙恬は明晰な頭脳を持つ分、口が達者で相手を動かすことに長けている。それは信もよく知っていた。

何としてでも堕胎薬を口にして、世継ぎを殺そうとした罪を成さなくてはと、桓騎を睨みつける。

「…何をすれば良い」

きっと桓騎は、信がそう選択することさえも読んでいたのだろう。

楽しそうな表情を崩すことなく着物の懐に薬包紙をしまうと、待たせていた馬に跨った。

手を差し伸べられ、信が狼狽えたように目を泳がせる。しかし、もう悩んでいる時間はなかった。

桓騎の手を掴んだ途端、ぐいと馬上に身体を持ち上げられ、桓騎の前に座らされる。

「ど、どこに連れてくつもりだ」

背後から自分を抱き締めるように手綱を握った桓騎が怪しげに笑う。

「さあな?」

嫌な予感がするのは先ほどからそうだが、本当にこんな時でさえ何も教えてくれないのかと、信は不安に胸が締め付けられた。

「おい、本当に…」

「黙らねえなら、このまま白老の孫のとこに連れてくぞ」

反射的に声が喉に詰まってしまう。怯えた視線を向けると、桓騎が満足そうに目を細めた。

こちらは何も言っていないというのに、やはり彼は自分が蒙恬から逃げ出したことも分かっているようだ。

「……、……」

蒙恬を裏切ったことも、彼の子を堕ろすことも覚悟の上だったし、今さら恐ろしいと感じるものがあるなんておかしな話だ。

しかし、もしも桓騎が自分を騙していたら、蒙恬から逃げられることが出来なくなる。彼を信頼していないのは元からそうだが、向こうから取引を持ち掛けて来た手前、応じるしかなかった。

どんな条件であったとしても、堕胎薬さえ口に出来れば、自分の目的は達成出来るのだから。

 

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