- ※悠仁の設定が特殊です。
- 女体化(一人称や口調は変わらず)・呪力や呪術関して捏造設定あり
- 五条悟×虎杖悠仁/ストーカー/ヤンデレ/バッドエンド/All rights reserved.
苦手な方は閲覧をお控え下さい。
再会
息をするのも忘れて、悠仁はその場に立ち尽くしていた。まるで金縛りにでもあったかのように、指先一つ動かすことが出来ない。
(なんで…)
悠仁は今の状況を信じられずにいた。
唯一自由に動かせる思考を巡らせるが、一体彼はいつ自分を見つけたのだろう。
術者は、自分が張った帳に誰かが侵入したのならばすぐにその気配を察知出来る。しかし、帳に誰かが侵入した気配はなかった。
空はまだ絵具を塗ったかのように暗く、帳を破られた気配はない。一体なぜ彼はここにいるのだろう。
「悠仁、会いたかった」
最後に聞いた時と何も変わりない優しい声色に名前を囁かれ、後ろから抱き締められる。
肺が砕けそうなくらい力を込められて、悠仁の唇から、ひゅ、と笛を吹き間違ったかのような音が出る。
顔を見なくても、この腕の力だけで彼が憤怒しているのは分かった。
「ぅ…」
抱き締めている腕がゆっくりと悠仁の首に伸びたので、このまま殺されるのだろうと悠仁は覚悟した。
恨まれても仕方がないことをしたのは分かっている。謝罪もせずに姿を消したのだから、当然だ。
「……、……」
浅い呼吸を繰り返しながら、悠仁は身体の力を抜こうとした。抵抗はしないという気持ちの表れであり、これが悟への謝罪になると信じて止まなかった。
首に掛けられた手がゆっくりと離れると、顎に指が掛けられて、ゆっくりと目線を合わせられる。
もう二度と見ることもないと思っていた青い硝子玉のような美しい瞳がそこにあり、悠仁の瞳から何の感情かも分からない涙が溢れ出た。
薬品で焼け爛れた顔と体を見ても、悟は驚く様子を見せない。醜いと罵って、さっさと自分を忘れてくれたのならどれだけ良かっただろう。
しばらく無言で見つめ合い、悟の唇がゆっくりと笑みを浮かべた。その笑顔が自分との再会を喜んでいるものではないことを察する。
「ねえ、それ、誰がやったの?」
赤く爛れた肌を指さしながら、悟が刃のように冷たい声で悠仁に問い掛けた。
悟に抱き締められたまま、悠仁は口籠る。本当のことを言えば、悟は潔く見放してくれるだろうか。
「…自分でやったの?」
静かにそう問われても、悠仁は震えることしか出来ない。
長い沈黙を肯定と受け止めた悟がわざとらしく溜息を吐いた。
悟の指が頬をするりと撫でる。
その途端、空気に触れているだけでぴりぴりと痛みを感じていた肌が急に痛みを感じなくなった。
再生
「えっ…?」
金縛りが解けたかのように、悠仁は反射的に自分の顔に触れた。赤く焼け爛れていた肌の感覚がない。
顔に触れた手も元の肌に戻っており、悠仁は瞠目した。
「…ああ、ちょっと待ってね。僕、女の子じゃないから手鏡なんて持ってないんだ。スマホで良い?」
懐から取り出したスマホを操作して、内カメラを作動させた悟は笑顔でスマホの画面を向けた。
「―――な…」
顔が、元に戻っていた。
まるで初めから傷などなかったかのように、あの赤く焼け爛れた肌がなくなっている。
久しぶりに元の自分の顔を見た悠仁は驚愕することしかできない。
「綺麗に戻したよ。少しでも残るようだったら美容整形のことも考えたんだけどさ、僕の力で治せて良かった。顔にメスを入れるなんて可哀相だから」
慈しむように悟が言う。手付きも声と同様に優しかったが、悠仁には氷のような冷たさに感じた。
彼は呪術界における回復術の一種である反転術式を使ったのだ。
「な、んで…?」
喉から声を絞り出すと、悟がにっこりと目を細める。
「恋人がひどい傷を負ったなら、何とかしてあげたいって思うのは普通じゃない?」
悟がひどい傷と言うほど、悠仁の全身は醜いまでに赤く焼け爛れていた。しかし、それは悠仁が自らの意志で行ったことであり、微塵も後悔などしていない。
一生会えないことを覚悟して悠仁が自らつけた傷を、悟は何の躊躇いもなく消し去ってしまった。
「ぅぐッ」
悟の手が容赦なく悠仁の顎を掴む。骨が軋むくらい力を込められて、悠仁は苦悶の表情を浮かべた。
「…ねえ、誰の許可を得てその顔に傷をつけたの?悠仁であっても僕は絶対に許さないよ?」
無理やり目を合わせられ、地を這うような低い声を掛けられる。口元は笑みを携えているが、瞳も声も先ほどとは別人のようだ。
「っ…」
悠仁の身体がかたかたと震え始める。
呪力の差だとか悟の強さだとか、そういったものは以前から分かっていた。しかし、今は違う。
根本的にこの男には敵わないという絶対的な恐怖が悠仁を包み込んでいるのだ。
自分の顎を掴む悟の手を、悠仁は反射的に弾いてしまった。ぱしん、と乾いた音が二人の間を駆ける。
「………」
弾かれて行き場を失った手を見つめ、悟は肩を竦めるようにして、なぜか笑っていた。
「…悠仁はさ、顔を変えれば、僕が興味を失うとでも思ってたの?」
一頻り笑った後に、悟は悠仁に問い掛けた。
「僕は悠仁のことを好きだって何度も言ったけど、もしかして、その顔と体が好きだと思ってた?」
「………」
悠仁は何も答えない。喉が強張って何も話せないのだ。
沈黙を肯定と受け止めた悟がわざとらしく大きな溜息を吐く。
「僕ってそんなサイテーな男だと思われてたんだ」
違う、と信は声を振り絞ろうとするが、空気を僅かに振るわせるばかりで、それは音にさえならなかった。
代わりに涙が溢れて来た。頬を伝う涙が、肌に沁みて痛むことはなかった。
悠仁が悟のことを愛していたのは本当だ。
それは嘘偽りないと誓えるし、彼と過ごした日々は悠仁の中で今もなお色褪せない思い出として残っていた。
離れている時間が長ければそのうち風化していくだろうと思っていたのに、少しも忘れることが出来なかったのは、今でも悟を愛しているからだ。
悟が五条家の嫡男でなかったのなら、もしかしたら違ったのかもしれない。何度そう思ったことだろう。
何も話さず、静かに涙を流し続けている悠仁を見て、悟が不思議そうに首を傾げている。
「…悠仁はさ、僕のことが嫌いになって逃げたの?」
そんなはずはないと悠仁は黙って首を横に振った。
否定してから、どうして素直に答えてしまったのだろうと後悔する。悟の優しさに甘えて縋ろうとする自分に嫌悪し、悠仁は俯いて唇を噛み締めた。
素直に打ち明けたところで、悟が五条家の嫡男である事実は変えられないし、自分が彼につり合う立場にはなれない。
「じゃあ、なんで逃げたの?」
今度は穏やかな声を掛けられる。悟が怒りを押さえていることはすぐに分かった。
青いガラス玉のような美しい瞳は、背筋が凍り付いてしまいそうなほど冷たい瞳をしていたからだ。刃のような鋭い眼差しを向けられているだけで、悠仁の身体は情けないほど震え始めた。
「連絡も取らないように、居場所を掴まれないように、随分と徹底したみたいだけど、そんなことで僕が諦めると思った?」
もちろん思わない。
いずれ諦めてくれることを信じて、悠仁はそのように行動をしていたのだ。
一年月日の近くが経っていたが、悠仁が少しも悟のことを忘れられなかったように、悟も同じだった。
しかし、気持ちが同じだったとしても、自分と悟の立場が変わる訳ではない。
悟に五条家の嫡男という立場を捨ててもらいたいなんてことは一度も思ったことはないし、自分さえ身を引けば解決するのだとばかり思っていた。
だから、このまま時間が経って、悟が自分のことを忘れてくれればそれで良かったのだ。
悟に気持ちも伝えず、身勝手な行動をしたことは傲慢だという自覚は十分にある。
恨まれても仕方のないことをしたと分かっているのに、悠仁はどうして自分の気持ちをわかってくれないのだと逆上してしまいそうだった。
全ては悟を想ってのことだった。
「…そうそう。何で僕がここに居たのか分かる?」
一向に悠仁が話そうとしないので、悟が急に明るい口調で話題を切り替えた。
こちらを見据えている瞳からは憤怒の色が消えていない。笑顔を浮かべているのは表面だけで、その仮面を外せばすぐにでも殺されてしまいそうだった。
「僕ね」
悟は窓に顔を向ける。帳によって真っ黒に塗り潰された空を見上げながら、悟は言葉を続けた。
「ここで悠仁のことを待ってたんだ。悠仁が帳を張る前から」
「ッ…!」
その言葉に、悠仁は目を見開いた。
帳に何者かが侵入した気配も、破られた形跡もないのに、なぜ悟が入って来れたのかと悠仁は疑問でならなかった。
しかし、悟は悠仁が帳を張る前からこの学校で待っていたのだという。
気配を察知出来なくて当然だった。帳を破って侵入したのではなく、初めから彼は帳の中に居たのだから。
呪霊の気配が消え去ったのは、帳の中にいる悟が祓ったからなのだろう。怪しむことをせず、すぐに逃げ出すべきだったのだ。
(…いや…)
悟は、悠仁が呪霊の気配を消えたことを不思議に思い、校舎内を探索すると分かっていたのだろうか。
まさか帳の中に悟がいるとは思わなかったとはいえ、なぜ誘き寄せられていることに気づかなかったのだろう。
そもそも悟はどうして自分がこの学校に来ることを知っていたのか、悠仁には分からなかった。
机に置いたままのココア缶を手に取り、悟が付着している砂を手で払った。
飲み口に砂が付いていないことを確認すると、彼はプルタブを開ける。小気味良い音が教室に響き渡った。
「…ん、甘い」
ココアを一口だけ口に含むと、味わうようにゆっくりと嚥下する。
早くここから逃げ出すべきだと分かっているのに、悠仁の脚は棒のように動かなかった。
悟が手に持っているココア缶が、今朝、公園のベンチに置かれていたものと同じ種類なのは、単なる偶然なのだろうか。
嫌な予感がして、心臓が早鐘を打つ。
―――もしも、悟が手に持っているココアがあの公園で買ったものだったなら?
悠仁は血の気のない唇を戦慄かせた。
「…いつ、から…」
「ん?」
「いつから、俺のこと…気づいて…」
ココアをもう一口啜りながら、悟が不思議そうに小首を傾げる。
唇をぺろりと舐めた悟は、楽しそうに双眸を細めた。
「悠仁がいなくなった日から、ずっとだよ」
再起
悟の言葉を、悠仁はすぐには信じられなかった。
「どうして…」
掠れた声を振り絞る。
まさか悟は、悠仁が居なくなった日から、ずっと自分のことを追い掛けていたというのか。
東京の呪術高専を自主退学してから、もう一年近くが経っている。スマホだって変えたし、位置情報を特定されるような類のものは全て手放した。連絡を全て絶ち、足が付かないように注意を払って呪術師としての仕事の依頼を受けていた。
逃げることが出来ていると思っていたのは自分だけで、悟は傍でずっと自分を嘲笑っていたのかもしれない。
今までずっと自分の居場所を知っておきながら、どうしてすぐに姿を現さなかったのだろう。
悠仁が瞠目していると、悟は静かにココアに口をつけていた。空になった缶を机に置き、彼は気だるげな表情を浮かべる。
「気の迷いかと思ってさ。ちょっと時間置いたらすぐに帰って来てくれるって思ってたんだよね」
「………」
「僕、何か悠仁に嫌われるようなことしたかなあって反省してたんだけど、全然思い浮かばないの」
青い瞳が悠仁の姿を捉える。
「ねえ、なんで逃げたの?僕のことが本当に嫌いになったなら、そう言ってくれれば良かったのに、悠仁ってば何も言ってくれないんだもん」
「…、……」
唇を戦慄かせたが、声は喉に張り付いて出て来ない。僅かに空気を震わせるばかりで、悠仁は涙を浮かべながら俯いてしまった。
嫌いになって逃げ出した訳ではないのだと悟に言えば、彼はなおさら逃げた理由を詰問して来るだろう。
悟さえ自分のことを忘れてくれればそれで良かったのにと、悠仁は奥歯を噛み締めた。
「他の誰かと浮気する訳でもない、真面目に呪霊を祓って呪術師を続けて…ねえ、僕、悠仁が何したいのか全然分かんない」
子どもが初めて目にしたものを「あれは何」と問うように、目を輝かせながら悟が問う。
しかし、彼を納得させる答えなど悠仁は持ち合わせていなかった。
家柄や立場など、悟にはどうでも良いことなのだから、どうしてそんな理由で逃げたのか理解出来ないと言うに決まっている。悠仁にはどうしようも出来ない問題だというのに、悟にしてみればその程度の認識なのだ。
「僕のことが嫌いになった訳じゃないのなら、他の誰かを好きになったんじゃないなら、なんで?なんで、逃げたの?」
骨ばった大きな手が悠仁の肩を掴む。目を背けることさえ許されず、悠仁は思わず固唾を飲み込んだ。
今さら逃げ出すことは叶わない。そもそも逃げ出せてもいなかったのだから、もう諦めるしかないのかもしれない。
「………」
瞬き一つ見逃すまいとして、悟が悠仁の顔を見つめている。青いガラス玉のような美しい瞳が、氷の刃のような冷たさを秘めていて、とても恐ろしく感じられた。
「…先生と、一緒に、なれない」
情けないほど弱々しい声を喉から振り絞ると、肩を掴む悟の手に力が込められた。
目の前にある悟の表情は微塵も変わっていないのに、爪が食い込み、痛みに悠仁の顔が歪む。
「俺のこと、忘れて、幸せになってほしかった、から…」
ぎりぎりと肩から伝わる痛みを堪えながら、悠仁は必死に言葉を紡いだ。
身勝手極まりない傲慢な行動だという自覚はある。しかし、いっそのこと、軽蔑してくれればとさえ思っていた。
悟が幸せになるためには、自分という存在が、彼の世界から消えるべきなのだ。
「…だから、僕に嫌われたくて、そんなことしたの?」
肩を掴んでいた手が離れ、悠仁の頬を擦る。今は元に戻っているが、悟が触れているのは赤く焼け爛れていた箇所だ。
頷くこともせずに悠仁は沈黙する。それを肯定と受け止めた悟は、体のどこかが痛んだような顔をして、悠仁のことを強く抱き締めた。
「…何が悠仁をそうさせたの?」
低い声で囁かれ、悠仁は心臓を直接握られたかのような感覚に襲われた。
悠仁を強く抱き締めたまま、悟は彼女の耳元で言葉を続ける。
「僕の家の奴らになんか言われたんでしょ?それとも他の奴ら?」
「あ、あの…」
腕の中で悠仁は喘ぐような呼吸を繰り返す。
独断で行ったのだと言おうとした途端、物凄い勢いで悟に顎を掴まれる。骨が軋むくらい強く掴まれて、悠仁は痛みと恐怖で体を硬直させた。
「悠仁が居なくなってから、家の奴らが急に縁談の話振って来るようになったから、おかしいと思ったんだよね」
「……、……」
「悠仁は優しいから庇うかもしれないけどさ。…いい子だから、本当のことを教えて?」
優しい声色で尋ねられ、かちかちと歯が鳴る。
悟の青い瞳に、恐怖で凍り付いた表情を浮かべている情けない自分の顔が映っていた。
真実
何も話そうとしない悠仁に、追い打ちをかけるように悟が問い掛ける。
「僕の家の奴らに脅されたんでしょ?」
「………」
首を縦にも横にも振らず、口を噤んだままでいる悠仁を見て、悟は確信した。
悠仁の唇に指をそっとなぞったかと思うと、彼は静かに微笑む。
「誓約でも交わした?僕に話さないことを条件に、ってところかな」
「………」
悠仁は何も答えられない。
それを肯定と認めた悟は悠仁に真っ直ぐな視線を向け、決して逸らそうとしなかった。まるで悠仁の瞬き一つ見逃すまいと注視しているようだ。
何も話していないというのに、青いガラス玉のような瞳に全てを見透かされているような心地になる。
「その誓約はもう無効だから、悠仁はなんにも気にしないでいいんだよ」
沈痛な面持ちで唇を固く引き結んでいる悠仁に、悟は明るい声色で言う。
「え…?」
悟が何を言っているのか理解出来ず、悠仁は呆然とすることしか出来ない。
「気になるなら確かめてみたら?誓約に背くことをすれば、すぐに分かるよ」
利害による縛りである誓約。それを破ることは罰を受けること、即ち、死を意味する。呪術界では常識のことだ。
まさか自分の居場所だけでなく、誓約のことまで知っていたというのか。悠仁は直接心臓を鷲掴みにされたような感覚に息を詰まらせた。
「悠仁」
いつまでも口を閉ざしたままでいる悠仁に、悟が穏やかな声を掛ける。
「本当のこと、教えて?誰と、どんな誓約を交わしたの?」
頬に手を添えられて、そう問われると、悠仁は術にでも掛けられたかのように唇を動かした。
「…五条家の人に、先生に近づくなって、言われた」
それは誓約に反する行為であると、悠仁は分かっていた。体が飛散してしまう罰を覚悟することも出来ないまま、勝手に口が動いていたのだ。
しかし、いつまでも苦痛はやって来ない。体に異変も起きないことから、悠仁は瞠目する。
悠仁本人からその言葉を聞けた悟は満足そうな笑みを浮かべている。
「ほら?なんともないでしょ?」
「………」
「だって、悠仁が誓約を交わした相手はもういないんだから、誓約自体、成り立たないんだよ」
全身の血液が逆流する感覚に、悠仁は眩暈を覚える。
悠仁が誓約を交わした相手を、同じ家の人間を、彼は殺したのだ。言葉を噛み砕かなくても、悠仁には分かった。
誓約が第三者によって打ち破られるということは、誓約を交わした、どちらかの人間の死しか有り得ない。
悠仁が五条家の人間と誓約を交わしたことを、なぜ悟は知っていたのだろう。
悟の想いに応えてはいけないのだと自分を戒めるようになったのは、彼の家臣だと名乗る人物が現れてからだ。
彼は五条家の嫡男である悟がいかに尊い存在であるか、そしてそんな彼の妻に相応しい人物とはどんな女性かを悠仁に言い聞かせた。
その後にはっきりと、お前は五条家の人間には相応しくないと、そう言われた。他人に言われなくとも、悠仁にはその自覚は元々あった。
身寄りもなく、名家の出でもない悠仁が誇れるのは、両面宿儺の強大な呪力だけ。
五条悟という男に相応しい女の条件を何一つ満たしていない自分は、悟に近づいてはいけないのだ。
家臣を名乗る男は、悟に今の話を言わないことを誓約にして、悠仁を悟から遠ざけた。その制約は、決して男の保身ではない。
自らの命を天秤にかけて、その男は悠仁が悟に近づかないことを確かめようとしていたのだ。もしも悠仁が誓約に反したことで男が死ねば、他の家臣が気づく。
そうなれば、再び悠仁に悟に近づかぬよう説得しに別の家臣が来るかもしれないし、強行手段に出るかもしれなかった。
だからこそ、悠仁は何も言わずに悟の前から姿を消したのだ。誓約に反さないよう、悟にこれ以上の迷惑を掛けないために。
それがまさか悟自ら、家臣を消し去っただなんて思いもしなかった。第三者によって誓約が破られた気配も感じなかった。
「…まだ、つけていてくれたんだね」
頬に添えられていた悟の手が、するりと肌の上を通って耳に触れる。右の耳朶に埋め込まれている小ぶりな銀色のピアスを指先で軽く突かれた。
悟と交際を始めた頃に、初めて彼から贈られたプレゼントだった。
呪術高専は他の高校と違って校則が緩い。アクセサリーに関しても同様で、任務に支障をきたさなければ特に咎められることはなかった。
―――指輪はちゃんとした時に、ちゃんとしたものを贈りたいから。
照れ臭そうに悟がはにかんだのを、悠仁は今でも覚えていた。
いつも大人の余裕を見せつけている彼が、そんな風に余裕のない顔を自分だけに見せてくれることが、恋人としてこの上ない優越感に浸ることが出来た。
ピアッサーを使ってピアス穴を開けてくれたことも、あの時のじんと痺れるような熱い痛みも、ちょっとだけ大人になったと誇らしげに思えた日のことも、悠仁はちゃんと覚えている。
ピアスをつけているのは右耳だけで、もう一つのピアスは悟の左耳にある。左右のピアスを悟と悠仁でそれぞれつけていた。
悟とのことは全て忘れなくてはと思うのに、いつまでも色褪せない思い出として、心に根付いている。
悟の左耳にも同じデザインのピアスがついているのを見て、離れている間も同じようにピアスをつけてくれていたのだと分かった。
「悠仁」
身を屈めた悟が耳元に唇を寄せて来たので、悠仁は反射的に目を閉じた。
「…うん、電池切れてなくて良かった」
安堵したように囁かれた言葉に、悠仁は目を見開いた。
唇の柔らかい感触を耳元に感じたかと思うと、再び悟に抱き締められる。
「そのうちこうなるんじゃないかなって思ってたんだ」
まるで今日までのことを事前に察していたかのような口ぶりだった。
「まさか誓約を交わさせてまで、僕から悠仁を遠ざけるとは思わなかったけど、もう大丈夫だよ。悠仁に近づかないように、ちゃあーんと五条家当主としてお説教しておいたから」
「………」
「でも、悠仁が自分を傷つけるくらい苦しい想いをしていたんだから、もっと…もっと、苦しめてから殺すべきだったね」
声色は穏やかだったが、青いガラス玉のような瞳からは憤怒を感じる。毛穴という毛穴に針が突き刺さるような、嫌な感覚に全身が包まれる。
やはり彼があの男を殺したのだ。
「せ、んせ…」
「ん?なあに」
「…さっきの、電池って…なに…」
先ほど悟が独り言のように囁いた言葉は、悠仁の中でわだかまりとして残っていた。
呪術高専を自主退学した後にスマホはすぐに新しい物に取り換えたし、何処にも足がつかないように徹底していた。
悟が先ほど言った言葉が、自分の居場所を知っていたと繋がりがあるような気がしてならない。
悠仁の問いに、悟は肩を竦めるようにして笑った。
優しい手付きで右耳のピアスを撫でつけられた瞬間、悠仁は火傷でもしたかのように、悟の腕を振り解いて後ろに下がった。
「………」
二人きりの教室に、悠仁の荒い呼吸だけが響き渡る。
帳を下ろしたせいで、自分たちだけがこの世界に取り残されてしまったかのような錯覚を覚えた。
目の前に立っている悟から静かな狂気すら感じる。外見は五条悟その人のはずなのに、なぜか中身だけが全くの別人のように思えた。青い瞳を直視出来ず、悠仁は後退る。
「逃げてもいいよ?すぐに見つけちゃうけどね」
悟がスマホを操作する。見せつけるように悠仁に画面を翳すと、そこには地図が表示されていた。
地図が示しているのはこの学校であり、その中心で赤い丸が点滅している。赤い色に目がちかちかとした。
「ッ…!」
震える手で悠仁は右耳のピアスを乱暴に外し、床に投げ捨てた。今日まで身体の一部だったピアスを急に外したことで、耳朶がしくしくと切なく疼いた。
小気味良い音を立てて転がったピアスを見下ろし、悟が憂いの表情を浮かべる。
「初めて僕が悠仁に贈ったプレゼントなのに…」
残念そうに言いながら、ピアスを拾い上げた悟はまるで悠仁に見せつけるように、そのピアスに舌を伸ばした。
大切な恋人からの初めての贈り物であるお揃いのピアスに心を躍らせていた自分を、悠仁は思い切り殴りたくなった。
まさかあのピアスに位置情報を知らせる機能がついていたなんて誰が想像出来ただろう。きっと悟も知られまいとして何も告げずに贈ったに違いない。
渡されたあの日からずっと悟は自分のことを監視していたというのか。
瞼の裏に、幸せだった日々の記憶が過ぎる。
悟も自分と同じ想いでいてくれたのは知っていた。だけど、今目の前にいる悟のことを悠仁は何も知らない。
自分に愛を囁いてくれた悟が、自分をずっと監視していた事実に、悠仁の中で何かが音を立てて崩れ落ちていった。