絶対的主従契約(昌平君×信)

絶対的主従契約(昌平君×信)後編

絶対的主従契約4
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  • ※信の設定が特殊です。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 昌平君×信/年齢操作あり/主従関係/シリアス/ノーマルエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編②はこちら

 

逃走劇

庖宰ほうさい ※料理人の男から逃れようとひたすらに走り続け、後ろから聞こえていた怒鳴り声が遠くなった頃、信は近くの茂みに飛び込んだ。

なるべく音を出さないように必死に呼吸を整える。あのまま走り続けていれば、いずれ体力の限界に達していただろう。

子どものすばしっこさが幸いし、かなり距離は開けたものの、庖宰の男は未だに信のことを探している。怒鳴り声と茂みを掻き分ける足音がまだ後ろから聞こえており、信の恐怖をより煽った。

遠くに見えた建物の明かりは少しずつ近くなって来ているが、子どもの足ではまだかかるだろう。どうにか庖宰の男を撒いて逃げ切らなくては。

「ッ…!」

すぐ近くの方で茂みを掻き分ける足音が聞こえ、信は咄嗟に、未だ一括りに拘束されたままである両手で自分の口に蓋をする。

「どこに隠れやがった」

「…、……」

男は夜目が利くのか、信が茂みに隠れるところを見たらしい。この近くにいるのだと気づかれており、信は息を殺して身を屈めていた。

庖宰の男が過ぎ去るのを待つ時間は、まるで生きた心地がしなかった。

庖丁※包丁で首を切り裂かれるのだろうか、腹を突かれるのだろうか。未知なる痛みと死の恐怖に体の震えが止まらなくなる。

先ほどからあの男が話している李一族とかいう存在に、ふざけんなと怒鳴りたかった。何を勘違いされているのかは知らないが、自分はそんな一族とは無縁の存在だ。

もしも自分が殺されてしまい、あの世で李一族と対面したのなら、絶対に罵声を浴びせてやると誓う。優雅に初対面の挨拶など絶対にしてやるものか。開口一番、呪いの言葉を吐いてやろうと思った。

(くそ…どうしたら…!)

庖宰の男の気配が過ぎ去るどころか、こちらに戻って来たのを感じ、信は声を上げて泣き出しそうになる。

前方から馬の足音が近づいて来たのは、ちょうどその時だった。

「―――信ッ!どこにいる!」

馬の嘶きが響いた後、聞き慣れた声がして、信は思わず顔を上げた。

(豹司牙だ!)

反射的に返事をしそうになったが、まだ庖宰の男が近くにいる今、安易に動き出すのは危険だ。豹司牙の声がした方に視線を向けるものの、助けを求めることが出来ない。

「信!返事をしろッ」

豹司牙は馬に乗ったまま、手に持っている松明で辺りを照らす。しきりに周りを見渡すものの、茂みに隠れている信に気づくことはない。

庖宰の男も主の近衛兵の登場に驚いたのか、どこかの茂みに身を潜めているようだった。

しかし、このまま身を潜めていれば、豹司牙は気づかずに行ってしまう。何か合図を送らなくてはと思うのだが、庖宰の男の方が近くにいると思うと、安易には動き出せなかった。
信は物音を出さぬように何か合図を出せる物がないかを探った。

(あ…)

懐に昌平君から渡されていた銀子が入っていることに気づく。

色んな方面に注意を払いながら、銀子を幾つか手に取ると、信は庖宰の男がこちらに気づかないことを祈りつつ、豹司牙の声がした方にそれを投げつけた。

銀子が地面に転がる僅かな音を聞きつけ、豹司牙が信の方を向く。

 

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豹司牙が松明を掲げ、明かりに反射した銀子を見つけたようだった。

「そこにいるのか?」

馬から降りた豹司牙が、松明を掲げながらこちらへゆっくりと歩み寄って来る。

「…、……、……」

すぐにでも駆け寄りたかったのだが、足腰に力が入らず、強張ったままの喉では上手く声も出せない。信は豹司牙が気づいてくれるのを待った。

少し離れたところに、松明の明かりに照らされたいつもの仏頂面が見えて、信は大声で泣き出したいほど安堵した。

助かったのだ。そう思った瞬間、

「信、ここにいたのか!探したぞ!」

「ッ!?」

後ろから腕を掴まれて立ち上がらせられ、信は心臓が止まりそうになった。

庖宰の男が人の良さそうな笑みを浮かべて、足腰に力の入らない信の体を支えている。

恐らく自分が信を連れ去った犯人だと悟られぬように、庖宰の男が荒々しい手つきで両手を拘束している縄を外していく。その間、信は恐怖で全身を硬直させていた。

二人に気づいた豹司牙が反射的に松明を投げ捨てて剣を構えたものの、信の姿を見て僅かに警戒を解く。

しかし、その時には両手の拘束はすでに解かれており、気づかれぬように縄は茂みへと投げ捨てられていた。

「無事だったか」

「……、……」

対面した豹司牙に声を掛けられるが、信は頷くことも返事をすることも出来ない。

両手は自由になったものの、背中にひやりとした鋭いものが押し当てられており、それが庖丁だと気づくのに時間はかからなかった。

豹司牙の死角で、庖宰の男は信の背中に庖丁の切っ先を押し当てていた。

「そこで何をしていた」

仏頂面が微塵も変わることなく、豹司牙が二人に問い掛ける。
下手に答えれば容赦なく背中を一突きされるだろう。今の状況を打ち明けても命を奪われることには変わりない。

「…っ、……」

信は血の気を失った唇を震わせることしか出来なかった。

いつまでも話し出さない信に豹司牙が眉根を寄せたのを見て、庖宰の男が代わりに話し始める。

「茶を淹れるのに必要な軟水を買おうと思って、二人で水売りの家を訪ねたんですが、辺鄙な場所にあるもんだから、途中ではぐれちまって…いやあ、無事に見つかって良かった」

背中に宛がわれている庖丁の切っ先に軽く力を込められて、信は何度も頷く。言葉に出されずとも、怪しまれぬように話を合わせろと指示されているのはすぐに分かった。

もしも信の命を奪おうとしていた状況を豹司牙に気づかれれば、すぐに切り捨てられることを庖宰の男も理解しているに違いない。

昌平君の近衛兵団長が動くのは、主の命令があった時だけだ。
それはすなわち、今この場に彼がいるということは、信の捜索は昌平君からの命令であると察したのである。

「………」

豹司牙といえば、庖宰の話を聞いても、眉間に刃で刻まれたような皺を崩さない。確実に怪しまれていることに気づいた庖宰が、何とかその場をやり過ごそうと大らかに笑う。

背中に庖丁の刃を軽く押し当てられて、ちくりとした痛みと同時に血が流れたのを感じた。

(たすけ、て)

すぐ目の前に豹司牙がいるというのに、いつ庖宰の男が庖丁で体を貫いてくるか分からない恐怖に耐え切れず、信は涙を流した。

「おいおい、なに泣いてんだよ!そんなに怖かったのか?」

庖宰の男が笑いながら信をからかうものの、豹司牙は真っ直ぐに信のことを見据えたまま動かない。

「信」

低い声で名前を呼ばれて、信は涙を流しながら豹司牙を見た。

何を言われるのだろうと思っていると、

「そこから動くな」

豹司牙が下したその命令を信が理解するよりも早く、隣にいた庖宰の男はその場に崩れ落ちていた。

 

救出

背中に宛がわれていた庖丁が地面に落ちる小気味良い音がして、信の硬直が解けた。
すぐに駆け寄った豹司牙が、倒れている庖宰の男の首筋に、剣の切っ先を突き付ける。

「えっ…!?」

驚愕のあまり、上ずった声が零れる。
うつ伏せに倒れ込んだ庖宰の肩に、深々と矢が刺さっていることに気づき、反射的に振り返る。

(昌平君…?)

目を凝らすと、弓を構えている紫紺の着物の男の姿が見えて、信は再び足腰から力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。

昌平君がこちらに駆け寄って来る足音が聞こえたが、信は無事であることを告げることも出来ず、ただただ呼吸を整えていた。

昌平君が放った矢は肩を貫通しており、鏃が突き出ていた。戦場と異なり、鎧で遮られることもなかったせいだろう。

「ぐ…くそッ…!あと少しで…」

矢が射抜いたのは、庖丁を持っていなかった方の肩だったことから、こんな暗闇の中だというのに、昌平君が正確に狙いをつけていたのが分かった。

「ひっ…」

倒れている庖宰から血走った眼を向けられ、信は思わず身を竦める。

昨日まで共に働いていた仲間がどうして自分に殺意を向けて来たのか、信には何も分からなった。

(あ…)

急に視界が紫紺の着物に覆われ、男の姿が見えなくなる。

恐ろしい眼差しを遮るように、昌平君が信の体を包み込んでいた。着物が汚れるのも構わず、その場に膝をついた主に後ろから抱き寄せられる。

恐怖と夜風で冷え切っていた心と体が、昌平君の温もりを感じて、信はようやく助かったのだと理解した。

それまで休むことなく、張り詰めていた緊張の糸が切れ、信は昌平君の腕の中に倒れ込んだ。

 

 

気を失った信の体を抱きとめ、昌平君は長い息を吐いた。安堵したのは信だけでなく、昌平君と豹司牙もだった。

しかし、信の方はもっと不安だったはずだ。今の今まで、殺されそうになっていたのだから無理はない。

命を奪われる恐ろしさは、戦場に立つ者ですら恐ろしいと感じるのに、信のような子どもには大層堪えたことだろう。

「総司令!団長!」

すぐに周囲を捜索していた黒騎兵たちもやって来て、庖宰の男を連行していく。弓矢が肩を貫通したものの、致命傷には至らなかった。

「…豹司牙」

「はっ」

「他に密書のやりとりや協力者がいないかを調査させろ。密偵であった二人が同時に消えたのなら、この屋敷に李一族の生き残りがいると、黒幕に気づかせることになる」

指示を出すと、豹司牙がすぐさま承知の意味を込めて拱手を行い、連行されていった男の後を追った。

まだ聞かなくてはならないことがあったので、茶葉屋の店主と合わせて捕らえた二人はまだ殺すなと指示をしたが、あとは彼が上手くやってくれるだろう。

密偵の二人が落ち合う場所である小屋に昌平君が辿り着いた時には、すでにそこに信の姿はなかった。
血痕がなかったことから上手く逃げ出せたのだろう。しかし、子どもの足では逃げ切れないことは目に見えていた。

暗号を読んでいた豹司牙も、どうやら軟水の記載には違和感を抱いていたようで、あの小屋に目星をつけて周辺を捜索してくれていたことは幸いだった。

意図せず、信の素性を知っている二人の挟み撃ちという形で庖宰を捕らえることが出来たのである。

豹司牙の死角となる背後で、庖宰の男が庖丁を信に押し当てている姿を見て、血の気を引くという感覚を随分と久しぶりに味わった。

「………」

見たところ、外傷は背中と首の傷、そして両手首に巻かれていた縄のかすり傷くらいで、深いものではなさそうだ。

背後で弓矢を構えた主に豹司牙がいち早く気づき、信に動くなと指示を出してくれたことで、昌平君も安心して標的を射抜くことが出来た。

昌平君も信を抱きかかえながら馬に乗ると、昌平君は屋敷への帰路を急いだのだった。

 

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宝石姫

 

目覚め

ゆっくりと目を開くと、見慣れない部屋の天井が映り込んだ。
温かい何かに包まれていることに気づき、顔を動かすと、すぐ隣に昌平君の寝顔があった。

(わっ)

驚いて声を上げそうになった寸前、咄嗟に口に蓋をして、声を飲み込んだ。

「…?」

寝具の中で、背中に腕を回されていることに気づき、まさかずっとこの状態で眠っていたのだろうかと考える。だとすれば、ここは昌平君の寝室だろうか。

いつの間に戻って来たのだろう。着物も清潔なものに替えられていた。

「………」

昌平君と一緒の褥で眠るだなんて、随分と久しぶりのことだった。

確かあれは、この屋敷に引き取られたばかりの頃だっただろうか。冬の寒い時期で、信は高い熱を出したことがあった。

あの時も侍医に診察の手配を頼んでくれたし、寒さに震えている自分が寝付くまでずっと抱き締めていてくれた。今となっては随分と昔・・・・のことのように思う。

束の間、昔の思い出に浸っていたものの、そういえば今まで自分は何をしていたのだろうと記憶の糸を手繰り寄せた。

(…今までの、全部、夢…だったのか…?)

もしかしたら今の今まで悪い夢を見ていたのだろうか。部屋を照らしている灯火器の火が消えかかっていることに気が付いた。

執務をしている訳でもないのに、貴重な獣脂を使い切るなんて勿体ない。灯盞の火を吹き消そうと体を起こしかけて、首筋と背中に走った小さな痛みに、信ははっとした。

ちくちくとした痒みにも似た痛みではあるが、庖宰の男に庖丁を突き付けられていた場所だ。

(夢じゃない)

悪夢であったならと思ったが、あれは現実であったのだと思い出し、信は全身が凍り付くような感覚に襲われた。

「っ…」

昌平君と豹司牙のお陰で助かったのだと頭では理解しているが、体の震えが止まらなくなる。

背中に回されている昌平君の腕に、僅かに力が込められたことに気づき、信は顔を上げた。

目を覚ましたのか、昌平君が信のことを見下ろしている。信は気まずくなって、目を逸らしてしまった。

思い返せば、豹司牙の言いつけを破った自分が悪いのだ。言いつけ通りに、あの書簡をすぐ昌平君に見せていればこんなことにはならなかったと直感する。

しかし、たかが下僕一人自分のために、昌平君も豹司牙もあんな場所まで駆け付けてくれたのかと思うと、いたたまれない気持ちになる。

「…あ、あの…」

謝罪しようと口を開くと、昌平君が片手を持ち上げたので、てっきりげんこつが落ちて来るのかと思い、信は咄嗟に目を瞑った。

しかし、頭に落ちて来たのは激痛ではなく、優しい温もりで、頭を撫でられているのだと気づいた信は恐る恐る目を開いた。

昌平君の瞳には、決して嫌悪も怒りも浮かんでおらず、むしろ自分を慈しむような、穏やかな色が浮かんでいた。

 

 

ゆっくりと昌平君が体を起こし、床に足をついたので、信も一緒に起き上がった。

「…街で何があった?」

静かに問われるが、その声にも怒気は含まれておらず、単純にこれまでの経緯が知りたいようだった。

「えっと…」

信は記憶の糸を手繰り寄せながら、豹司牙と街へ行った時のことを話し始める。

もちろん昌平君は豹司牙から報告は受けていたし、暗号が記された書簡に関しても目を通していた。しかし、情報漏洩に繋がった経緯は分かっていない。

密偵が屋敷に潜入していたのは予想外であったが、機密情報の管理は徹底していたというのに、どこで情報漏洩があったのか昌平君も分からなかった。

豹司牙の話によると、馬を厩舎へ預けていた時と、茶葉屋の店主と会話をしていた時は信と行動を別にしていたという。

信の本当の素性について目を付けられたのなら、恐らくはその単独行動の時だろう。

茶葉屋の店主と話した内容について、昌平君は詳しく尋ねた。

あの庖宰の男と茶葉屋の店主が協力関係にあったことに、信は驚愕していたが、眉根を寄せながら、茶葉屋の店主との会話を話し始める。

豪雨の影響で茶葉が不作となってしまい、売ることが出来ないと言われたこと。代わりに茶葉の風味を上げる煎り方を教えてもらったこと。

その話を聞く限り、信の素性が気づかれるきっかけがあるようには思えなかった。

「他には何もなかったのか」

「ええと…」

催促すると、信が少し目線を泳がせる。
何かまだ報告し終わっていないことがあることが分かり、昌平君がじっと見据えると、諦めたように信は話し始めた。

「…今朝のことで、医者を手配してもらったから…ちゃんとお前との約束通りに、美味い茶を淹れねえとって、話してて…」

信の素性が気づかれるきっかけになったのは、恐らくそれ・・だろうと昌平君は溜息を吐いた。

 

信の素性

「盲点だった」

「え?」

溜息と共に吐き出されたその言葉に、信が目を丸めた。

「恐らくは、私が侍医を手配してまでお前を助けたことで勘付いたのだろう」

「は?だって、医者は怪我人や病人を診るもんだろ?」

そうだ、と昌平君は頷く。

「…だが、下僕を診ることもある町医者ならまだしも、宮廷や高官に仕える侍医は貴族の出である者がほとんどだ。下僕を毛嫌いしており、下僕の診ることは辱め同然だと思い込んでいる者が多い」

「な、なにが言いたいんだよ」

「私が侍医に辱めを受けさせてまで、…そこまでしてお前を助けなくてはならない・・・・・・・・・・理由があったことから、お前の素性を疑われたのだろう」

そんな会話の糸口から目を点けられてしまっていたとは、昌平君も豹司牙も盲点であった。

茶葉屋の店主とは、屋敷で起きたことを世間話として話すくらいだったというが、それほどの洞察力があったのなら、わずかな会話の糸口からこれまでも情報を盗んでいたと考えて良いだろう。

店主と庖宰の身柄は黒騎兵が預かっている。拷問で口を開かせると、二人とも報酬を目当てに、ある男から李一族の生き残りを探るよう依頼されていたそうだ。

二人に話を持ち掛けた者は黒衣に身を包んでおり、男だということしか分からなかったようだが、立ち振る舞いから高貴な立場にあることは分かったという。

恐らくは過去に李一族の殲滅を指示した先帝側の人間だろう。昌平君が宮廷で顔を合わせている者だとすれば、数人の候補が挙がった。

それにしても、ここまで執拗に李一族の壊滅を目論むのは、よほど報復を恐れているのだろうか。子ども一人をそこまでして探し出していたことに、執念のようなものを感じさせる。

茶葉屋の店主も庖宰も、普段は信のことをよく気にかけている男たちだと思っていたのに、金に目が眩み、子どもであってもその命を奪おうとするなんて無情な世の中だ。

「な、なあ、そもそも俺の素性って…李一族って何なんだよ…」

きっと庖宰の男から何かしら話を聞いていたのだろう。信が李一族の口に出したことに、昌平君ははっとした。

不安そうにこちらを見つめる信に、昌平君は隠しておくのもここまでかと観念した。

「…李信。それがお前の姓と名だ」

 

 

李一族とは、先帝の代に仕えていた将軍の一族である。

他国への侵攻戦には必ずしも出陣を命じられるほど、強大な力を持っており、女子供も戦力として加えられるほど戦に優れていた。

徴兵に掛けられる年齢よりはるかに幼くても、李一族の者たちは初陣を経験するのが習わしであった。幼少期から徹底的に武の才を仕込まれるのである。

その強大な戦力で秦国を守り、幾度も戦を勝利に導いて来た一族の当主・李瑤りようの息子こそ、李信だ。

李一族が現在も存命であったのなら、間違いなく信も戦に出て武功を立てていただろうし、秦の中華統一も限りなく前進していた違いない。

それだけ強大な戦力で先帝に仕えていたにも関わらず、一族が壊滅に追いやられたのには理由がある。

その強さゆえに、李一族の権力増長を恐れた官吏たちが、彼らがいずれこの国を揺るがす恐ろしい存在になると皇帝に奏上したのである。

当時の皇帝は官吏たちの言葉を受け入れ、李一族に謀反の疑いを抱くようになった。

ただ、正面から襲撃したところで敗北は必須。そこで官吏たちは当時の将軍たちの知恵と力を借り、李一族の殲滅を図ったのである。

その方法こそがまさに卑怯としか言いようのないものだった。

日頃からの皇帝からの褒美だと語り、官吏たちは豪華な着物や布を贈ったのだ。外見こそ美しいものであったが、それらはすべて伝染病患者に着用させたものであった。

普段の功績を皇帝から讃えられることは、一族にしてみればこの上ない褒美だ。一族の者たちは疑うことなく、伝染病の元凶に接触してしまったのである。

いくら戦で敗北を知らぬ李一族とはいえ、所詮は人間。たちまち一族の間でその伝染病は広まり、大勢が亡くなった。

治療法が確立していない病に困り果てた彼らが宮廷の医師団に救援要請を送ったことをきっかけに、官吏たちは李一族のみで広まったその伝染病の根源を、他国との密通によるものだと偽装したのである。

伝染病を広めないことと、他国との密通による謀反の恐れを理由に、皇帝は李一族全員の処刑を言い渡した。

それまで皇帝と秦国に尽くして来た強大な一族は、王朝を取り巻く権力争いの渦によって呆気なく消滅させられたのである。

逆に言えば、そこまで姑息な手段を使わなければ真っ当に相手が務まらないほど、当時の李一族は最強だったと言ってもいい。

表向きは他国への密通の疑いから、皇帝への謀反を理由とした処刑であったものの、真相を知る者は極僅かだ。情報操作が行われたことから、真相を外部に洩らす者がいれば例外なく処刑されていた。

当時の皇帝が病で崩御してからもその情報操作は今もなお続いており、李一族壊滅の真相は完全に闇へ葬られたのである。
昌平君自身もこの件を言葉に出して伝えるのは、信が初めてのことであった。

今回の一件で分かったことがある。
それはまだ李一族が完全には滅んでいないと勘付いている者がいて、その人物が今もなお信の命を狙っているということだ。

 

信の素性 その二

「李…一族…」

どれだけ記憶の糸を手繰り寄せても、信には当時の記憶がなかった。

気づいたら奴隷商人によって辺鄙な里に売られ、ひどい目に遭いながら、奴隷として毎日を生きていたのが、信の中で最古の記憶である。

親の顔など覚えておらず、他の奴隷たちと同じように自分も戦争孤児だと信じ切っていた。

「何も覚えてねえ…俺は、なんで生き延びたんだ?病が蔓延しちまったって、みんな処刑されたっていうんなら、俺も死んでたかもしれねえってことだろ」

信は困惑した表情で昌平君を睨みつけた。

相変わらず昌平君は表情を崩すことはなかったが、しばし目を伏せていた。信は彼が話し始めるまで、その場からじっと動かずにいた。

「…先帝から李一族へ、病の根源である品が下賜されたあの日、お前は私の屋敷にいた」

「えっ?」

どんな答えが来ても驚くまいと身構えていた信であったが、まさか昌平君が関わっていたことは予想しておらず、思わず聞き返してしまう。

「は?え…俺、お前に会ったことがあったのか?」

静かに昌平君が頷いたのを見て、信は何度も記憶を巡らせてみたが、やはり思い出すことは出来なかった。

「…あの当時、李一族の当主であり、お前の父である李瑤りようは、私が師と称えていた男だ」

「………」

初めて・・・父の名を聞いた信は、戸惑ったように眉根を曇らせて、何度も瞬きを繰り返した。

名前を聞いても父の顔は朧気にも思い出せないのだが、胸元の辺りがざわざわと落ち着かなくなる。こんな気持ちになるのは初めてのことだった。

「じゃあ、お前…俺のこと知ってて、下僕になった俺を引き取ったのか?」

小さな集落にいた下僕の自分が昌平君に引き取られたのは、彼が領土視察のためにたまたま訪れたからだと疑わなかった。

字の読み書きが出来ないことを知って、常日頃から機密情報の取り扱いをしている自分に仕えさせるのに都合が良かったのだろうと思っていた。

しかし、過去に面識があったというのなら、それは決して偶然の出会いではない。昌平君は国中を探し回り、あんな辺鄙な地までやって来たのということになる。

昌平君は何も答えなかったが、恐らくそうなのだろうと信は納得した。

どうして自分が昌平君の屋敷にいたのか、そしてあんな辺鄙な集落に移り住んだのか、信が尋ねようとすると、昌平君が先に答えた。

「…お前が伝染病を免れた理由だが、李瑤がお前を連れて私の屋敷に来た時、幼いお前は風邪を拗らせ、そのまま私の屋敷で療養していた」

「風邪…?」

それは伝染病よりも断然軽いものではあったようだが、どうして昌平君の屋敷で風邪を引いてしまったのだろうか。

信が疑問を浮かべているのを読んだのか、昌平君が言葉を続ける。

「お前が後ろから飛び掛かって来たのを私が避けたせいで、お前はそのまま池に落ちた。真冬の池で体が凍えたのだろう」

「ええ…?」

記憶はないとはいえ、なんだか安易にその光景が想像出来てしまい、信は顔を強張らせる。

「李一族に生まれた者は、一般的に徴兵を掛けられるより前の年齢で初陣を経験させる。しかし、お前はその単純さゆえに、李瑤から初陣に出るのを禁じられていた」

「………」

どうやら当時のことを昌平君は鮮明に記憶しているようで、すらすらと続きを話してくれた。

「もしも私に、一撃でも与えることが出来たのなら初陣に出るのを許すと、李瑤はお前と約束をしていたらしい」

しかし一撃を与えることが出来なかったどころか、真冬の池に落下して風邪を引いたのだと、昌平君はどこか呆れた様子で語る。

どうして父が初陣の許可に昌平君を巻き込んだのか分からなかったが、恐らくその当時から、昌平君には一度も勝てなかったのだろうということは何となくわかった。

 

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壊滅の真相と再会

「…真冬に病を広めたのも、李一族の壊滅を狙う者たちの策だったのだろう」

当然ながら病人に寒さは堪えるものだ。真冬の季節に伝染病を広めたことから、官吏たちがきっと以前から厳密に策を企てていたということが分かる。

「………」

思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうになり、昌平君は無意識のうちに奥歯を噛み締めていた。

信が昌平君の屋敷で療養していた時に、李一族の伝染病は広まった。

もしも信が風邪を拗らせていなければ、李瑤と共に屋敷へ帰還して、伝染病に倒れていたか、処刑されていたに違いない。

昌平君のもとに李瑤からの書簡が届いのは、李瑤自身も伝染病にかかってからだった。

その書簡には、一族の中で流行り病が広まっていることを理由に、息子の風邪を悪化させないよう、もうしばらくそちらで預かっていて欲しいという旨が記されていた。

恐らく李瑤は、一族の中で不自然に広まった病に違和感を抱いていたに違いない。暗号や予見こそ記されていなかったが、何かあれば信を頼むと記されていたのである。

李瑤の勘はよく当たった。師と称えていた彼と共に出征した時も、軍略囲碁で腕を競い合った時もそうだった。それは本能型の将が持つ独特な感性で、危険を予知する特殊な能力なのだろう。

そして、杞憂では済まず、その勘は当たってしまった。

李一族の中で伝染病が広まったのは他国との密通によるものであることも、謀反の疑いがあることも、たちまち秦国中で話が広まり、昌平君の耳にも届いたのである。

まだ幼い子どもであった信の耳にその話が入らぬように屋敷内で箝口かんこうを敷いたものの、国中で広まったその噂を全て防ぎ切ることは不可能であった。

どこからか噂を聞きつけた信は、昌平君の制止を振り切って、生家へと駆け付けたのである。

あの当時の信は、今より幼いながらも一人で馬を走らせることが出来た。李一族に生まれた者は幼い頃から武器と馬の扱い方を教えられるからだ。

昌平君もすぐに追いかけたものの、そのときすでに先帝の指示で、李一族の屋敷には火が放たれており、勅令を受けた兵たちが一族の虐殺を行っていた。

女子供も例外なく処刑の対象であり、病で苦しみながらも反撃する李一族の者たちを誰一人として逃すことなく、勅令を受けた兵たちは切り捨てていったのである。

どうしてそこまで残虐な行いをしたかというと、李一族の殲滅は勅令であり、兵たちにとっても失敗は許されぬことだったのだ。

燃え盛る生家の中、無残に殺されていく仲間たちの姿に泣き叫ぶ信の姿は、今でも昌平君の瞼に焼き付いている。

無謀だと分かりながら、怒りを抑え切れなかった信は武器を持って奮闘した。子どもであっても、最強と称えられた一族の嫡男である信の姿は、戦場に立つ李瑤の生き写しのようであった。

しかしこの時、李一族に味方する者は誰一人としていなかった。

李一族と共に戦場に立った秦将も、昌平君のように李瑤を師として慕う一族も多くあったというのに、勅令には逆らえなかったのである。

殲滅を阻止しようとする者は、李一族の味方であり、つまりは秦国への謀反であるとみなされるからだ。だからこそ、助けようとする者はいなかった。

昌平君も自分の一族を守る保身のために、李一族を見殺しにした一人で、その罪を一生背負うつもりでいた。

供をしてくれた豹司牙も、燃え盛る屋敷と戦友ともいえる李一族が虐殺されていく光景に、血が滴り落ちるほど拳を握っていたことは覚えている。

…程なくして、信も体力の限界を迎えることとなる。
次々と送られてくる増援も尽きることがなく、誰もが李一族はもう終わりだと悲観していた。

それでも、昌平君は李瑤との約束だけは守ると決め、何としても信だけは守らねばならんと覚悟を決めたのである。

 

 

「私と豹司牙は兵に紛れ、お前をその場から連れ出した。正体を知られぬよう追手と戦っていたが…途中でお前を見失い、先にあった崖に、お前の靴が片方だけ落ちていた」

「………」

苦虫を噛み潰したような表情で、昌平君が言葉を続ける。

「どこかに亡骸があると思い、崖の下にあった川や付近の森まで捜索を続けさせたが、遺体は見つからなかった」

淡々と語られる事実を、信はじっと聞いていた。

「…じゃあ、俺がまだ生きてると思って、探し続けたのか?あんな集落まで…」

昌平君はまたもや肯定こそしなかったが、首を横に振ることもしなかった。

「…あの集落で再会した時、お前は全てを忘れていた。李一族の存在や私のことだけではない。馬の乗り方も、武器の扱い方も、字の読み書きすらも出来ない下僕となっていた」

昌平君に身柄を引き取られることが決まった時、信は昌平君と初対面だと思い込んでいた。

彼から名前を呼ばれたのは、里長から自分の名前を事前に聞いたのだとばかり思っていたのだが、そうではなかったのだ。信だけが全ての記憶を忘れていたのである。

頭を打ち付けたのか、それとも辛辣な現実に耐え切れず、心が記憶を手放したのかは分からない。

しかし、腑に落ちたように、信は大きく頷いた。

「…それじゃあ、お前と豹司牙は、俺に記憶を思い出させようとして、毎日俺の頭をひっぱたいてたのか」

「それは違う」

「えっ?」

即座に否定すると、信が間抜けな声を上げた。げんこつを落とされるほどの無礼を働いたことに信は一切の自覚がなかった。

 

絶対的主従契約

昌平君が鋭い眼差しを向ける。

「今のお前は、ただの下僕だ。だが、当時の記憶を取り戻したのならば、李一族の生き残りとなる」

未だ信は当時の記憶を取り戻していない。それでも李一族の生き残りを探している者がいたことから、今でも李一族の報復を恐れている者や、先帝を唆した悪事を暴かれるのを恐れている者がいることが分かった。

庖宰の男と茶葉屋の店主を動かしていた者が黒幕だと目は付けていたが、その者だけとも限らない。今後も情報漏洩がないように徹底的に管理していく必要がある。

しかし、信自身が此度の件で、自分の素性を知ってしまったように、いつまでも信の存在を隠し通すのは難しいだろう。

一族を処刑された恨みは消えることはないし、信に復讐をする権利はある。だが、それはあまりに無謀なことだ。

「…お前が李一族を滅ぼされたことを復讐するのなら、お前を助けた立場として、私はそれを止めねばならん。…お前を傍に置いていたのはそれだけだ」

信の父である李瑤との約束については語らなかった。

それを伝えれば、昌平君がずっと信を探していたのも、保護したのも、亡き父からの遺言によるものだと教えることになる。

今さらそれを話したところで信を戸惑わせることになるのは目に見えていたし、復讐への意志を固めることにもなりかねない。

しかし、信は薄く笑みながら首を横に振った。

「分かってる。お前が話さないってことは、きっと他にもなにか理由があるんだろ」

「………」

意外にも信にそれを見抜かれ、昌平君はやや呆気に取られた。

茶葉屋の店主と庖宰の男が繋がっていたという証拠を押さえた豹司牙から、街へ向かう途中で、奴隷解放証に名前が必要になることを伝えたのだと、謝罪と報告を受けていた。

信があまりにも無礼な態度を続けるものだから、いい加減見ていられず真相を伝えてしまったのだという。

盗んだ原本と印章と信の名前が揃えば、その奴隷解放証は確かに効力を持つことになる。

しかし、昌平君が最初から案じていたのは、偽造や不正入手で裁かれること以前に、何の力も持たない子どもがたった一人で生きていけるはずがないという心配からだった。

未だ七か国での領土争いは絶えることはなく、力のない者が生きていくには過酷な世界だ。李瑤との約束を守り続ける立場として、何としても信を犬死させるわけにはいかなかった。

たとえ信が李一族の生き残りだとしても、今の彼に当時のような武の才はない。
李瑤が危惧していた感情的になりやすい面を除けば、当時の年齢であっても、信はそこらの将よりも確実な力があった。

下僕の身分に落ちた彼と再会してから、昌平君は文字の読み書きはもちろん、馬の扱い方も武器の持ち方も一切教えなかった。
そんなことを教えれば、信は再び武の才能を開花させてしまうかもしれない。

当時の記憶を取り戻すような兆しは今までも見られなかったが、何をきっかけに信が復讐鬼と化すか分からなかった。

今までずっと下僕として自分の傍に仕えさせ、偽りの主従関係を築いていたのは、信が記憶を取り戻していないか、常時の監視を兼ねていたのである。

全ては師である李瑤との約束を守るためだった。

 

 

「私の話を聞いて、何か思い出したか?」

「んー…いや?」

李一族の話をすることで、信が記憶を取り戻すのではないかという不安もあったのだが、杞憂で済んだらしい。

しかし、自分の正体を知ったことで、信の心に変化が現れるのではないだろうか。それをきっかけに当時の悲惨な記憶を取り戻したら、間違いなく信は一族を滅ぼした王族への復讐を誓うはずだ。

武の才能が完全に開花すれば、彼の父がそうであったように、たとえ信一人でも大勢の命を奪うことは容易いだろう。

先帝はすでに病で崩御しているが、当時の官吏たちの何人かはまだ健在で、強い権力を持って現秦王である嬴政に仕えている。

信は怒りの矛先を嬴政に向けるかもしれないし、保身のために自分の一族を見殺しにした昌平君や他の者たちにも向けるかもしれない。一族を滅ぼされた恨みが収まらず、王朝を滅ぼすかもしれない。

…だが、それは無謀だと言ってもいい。いくら信であっても、一人では敵わないのは目に見えていた。

「…一族を陥れ、滅ぼした者たちが憎いか」

問いかけたのは、もしも信が李一族への復讐を決意するのなら、李瑤との約束を果たすため、昌平君にも考えがあったからだ。

「………」

信は俯いてしばらく考える素振りを見せていたが、ゆっくりと顔を上げる。
黒曜の瞳に力強い意志が浮かんでおり、昌平君は僅かに身構えた。

「わかんねえや」

眩しいほどの笑顔で判断出来ないと言われたものだから、昌平君は驚いた。
珍しく感情を顔に出した主の反応を見て、信は困ったように頭を掻く。

「だってよ…何も覚えてねえのに、復讐も何もねえだろ。そこまで俺も命知らずじゃねえし」

「記憶を取り戻したら?」

すかさず昌平君が聞き返したので、信は腕を組んでうーむと小首を傾げる。

「その時になってみねえとわかんねえよ」

あまりにも単純過ぎる答えだが、確かに理に適っている。

心の何処かでは、信が一族の復讐を誓い、その命を無残に散らしてしまうことになるのではないかという心配が絶えなかった。

しかし、信の答えを聞く限り、今のところはまだその心配はしなくて良さそうだ。

だが、何をきっかけに記憶を取り戻すかは今後も分からない。積極的に記憶を取り戻そうとするつもりはないようだが、これからも傍で監視を続けなくてはならないようだ。

「…なあ」

まるで昌平君の顔色を窺うように、信が上目遣いで見上げて来る。

「もし、俺が全部思い出して…お前や、一族を滅ぼした奴ら全員に復讐してやるってなったら、さっさと斬り捨ててくれよ」

「………」

「今回みたいなことが起きたんだから、これ以上お前に迷惑かける訳にはいかねえだろ」

祈るように眉根を寄せて信がそう言ったものだから、昌平君はしばし返答に困った。
表情を変えずとも、昌平君が返事に悩んでいることを察したのか、

「お前って、意外と義理堅い男だもんな」

昌平君は何も答えなかった。
束の間の沈黙の後、信があははと笑う。

「それじゃあ、もしも俺が記憶を取り戻した時…俺に従うって言うんなら、命だけは助けてやってもいいぜ?」

随分と上から目線の挑発的な態度に、昌平君の眉間が曇ったのが分かった。

信が本当に記憶を取り戻したのなら話は別だが、今でも主と下僕の主従関係は続いているというのに、相変わらずな態度だ。

「…その時になってみないと分からんな」

わざとらしく溜息を吐いて、昌平君は誤魔化すように信の言葉をそのまま返した。そりゃそうだと信は大らかに笑う。

「…もう今日は休め。あとのことは私が引き受ける」

信は頷いて、もう一度柔らかい寝具に寝転がった。
本来ならいつも休んでいる部屋に戻るべきなのだろうが、寝台に横たわっても文句を言われなかったので、今日は特別なのだろう。

驚くことに、昌平君も寝台に横たわった。目を覚ますまでは共に眠っていたが、まさか今夜は一緒にここで休まなくてはいけないのか。

少し気恥ずかしさもあるものの、思い出したように体の疲労が圧し掛かって来る。
柔らかい上質な寝具と、隣にいる昌平君の温もりに包まれて、信の意識はすぐに眠りに落ちていった。

 

絶対的主従契約~簒奪~

…昌平君が師と慕っていた男は、もう一人いる。

それは信の祖父にあたる李崇りすうという男で、彼は知将の才を持ち、優れた軍略を用いて自軍を勝利に導く男だった。

息子・李瑤りようのように、味方の士気を高める奮起の言葉を熱く語るものの、それらは全て、自軍の勝利へ導くための演技であることを、昌平君は早いうちから見抜いていた。

李瑤は情と忠義に厚い男であったが、李崇は勝利のためならば味方も駒として使い捨てる冷酷さがあった。それが彼の本当の顔である。

表向きは情に厚い将、しかし、確実な勝利のために冷酷に駒を操る裏の顔を持つ二面性を兼ね備えていることから、息子である李瑤とは似ても似つかない性格であった。

李崇の交渉に長けている口の巧さは、知将としての才によるものだったのだろう。

彼が瞬き一つせず・・・・・・にじっと相手の目を見据えて交渉を開始すると、まるで術にでも掛けられたかのように、相手の方はその話に乗ってしまうという不思議なものだった。

昌平君も幾度もその瞳に見据えられたが、心を見透かされているかのような嫌な感覚に襲われた。
しかし、大半の者はその嫌悪感すら感じることなく、李崇の望むままに動いてしまうのだった。

李崇が敵軍と交渉する時は、決まって自軍が優位になるように導いていた。捕らえた敵兵に、機密情報を軽々と吐かせていたのもそのおかげだろう。

…今思えば、あれは李崇だけが使える一種の洗脳のようなものだったのかもしれない。

しかし、昌平君は李崇のその術にはかからなかった。彼が自分の心を覗き見ようとする度に、さりげなく視線を逸らして、術を回避していたのである。

どうやら自分の思い通りに動かないことを気に入られたらしく、昌平君は李崇から軍略について教えられるようになった。

そういった経緯があり、昌平君は二人の師からそれぞれ武と知を学んだのである。特に李崇からは駒の扱い方をとことん教え込まれた。

信は武の才に優れていた父・李瑤りようの血を濃く受け継いでいたので、もしも李一族が滅んでいなかったのなら、今では戦の前線で大いに活躍する将になっただろう。

しかし、少なからず李崇りすうの血も受け継いでいるはずだ。相手の裏をかくことを何よりも得意とし、いかなる状況においても機転を利かせる知将の才能を。

昌平君は、一度も李崇との軍略囲碁に勝利したことがない。いかに優位に進めていても、必ず綻びを突かれ、徹底的に打ち負かされるのである。

しかし、数えきれない敗北から軍略と駒の動かし方を学んだおかげで、昌平君は今の地位を築いたと言っても良い。

李崇りすうは味方も敵も、そして自分をも駒として扱い、確実に勝利に導く存在であった。官吏たちが李一族の権力増長を恐れたのは、李崇の存在があったからなのかもしれない。

…もしも信が父と祖父の両方の血を受け継いだとすれば、本能型の将と知略型の将の両方の才を持つ将として、秦国に欠かせない存在になっていただろう。

そして当時と同じように、この国を揺るがす存在だと恐れられ、理不尽に命を狙われることは目に見えていた。

これからも記憶が戻らないように願いながら、昌平君は隣で眠る信を見つめる。

「んー…」

小さな寝言を零しながら、信が寝返りを打って、昌平君の胸元に顔を埋めて来た。
まるで腹を満たした赤ん坊のような、何も不安など感じていない安らかな寝顔と静かな寝息に、昌平君も眠りに誘われる。

きっとこのまま何も思い出さない方が、信にとっては幸福に違いない。

信が戦や復讐と無縁な生活を送り、人生を全うしたのなら、その時初めて昌平君は李瑤りようとの約束を果たせると信じて止まなかった。

(…だが、信の提案も悪くないかもしれない)

もとより、自分は李一族を見殺しにした罪を背負っているのだから、復讐に協力することで、自分の罪の償いになるとも考えられた。

何より、師や信を苦しめた者が、今も同じ国に存在している事実は覆せない。
多くの犠牲を対価に、この国の政治を我が物顔で牛耳る官吏たちを思い浮かべるだけで、反吐が出そうになる。

今でも李一族が滅んだことや、保身のために師と一族見捨てたことは、重い楔となって昌平君を縛り続けていた。
一族が滅んだ事実が変わらないように、その楔がこれから先も外れることはない。

それでも、自分が信に従い、彼の駒として動くという新たな主従契約を結んだのなら、少しはその楔が軽くなるのかもしれない。

先帝は崩御したが、今も生き残っている李一族の殲滅を指示した官吏たちに、信と共に復讐するのも悪くないかもしれない。

しかし、それはあまりに無謀で短慮で、愚かであるという自覚はあった。

「………」

いよいよ重くなって来た瞼を抑えられなくなる。

思えば、豹司牙からの報告を受けてから休むことなく信を探し続けていたのだ。体に疲労が残っていてもおかしくなかった。

風邪を引かぬよう、しっかりと信の肩に寝具をかけてやり、その体を抱き寄せる。腕の中の温もりを感じながら、昌平君の意識は眠りへと落ちていった。

 

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昌平君の静かな寝息を聞きながら、信はゆっくりと目を開いた。

無防備に眠る昌平君の姿を見るのは珍しいことではなかったのだが、今はとても懐かしい感覚があった。

隙だらけであった昌平君の背中に一撃を与えようとしたものの、呆気なく回避されてしまい、冬の池に落ちてしまったあの日のことを思い出す・・・・

青銅製の火鉢で部屋は暖められていたが、高熱にうなされ、なおも寒さを訴える自分を抱き締めて温めてくれたのは他でもない昌平君だった。

「………」

つい先ほどまで自分の主だった男の寝顔を、信は瞬き一つせず・・・・・・に見つめる。

手を伸ばして、彼の頬をそっと撫でると、

「…なあ、最後まで、俺に利用されてくれよ?お前は俺の駒なんだから」

信が、にやりと笑った。

 

後日編①はこちら